ONE OK ROCK - Kaimu
皆無
この地球(ほし)がもしも明日 全てを終わらそうとすれば
どれだけの怒り・悲しみを残していくだろう?
それ聞いてこの星で 自分の命と引き換えに
地球(ほし)を守ろうとするやつがどれだけいるだろう?
なんだかんだ言ったってキレイ事!!
誰かやってみせてくれ!!
ココは皆無・カイム
誰もが口先だけで 自分の事で精一杯
それじゃ何を言えど
何も変わりはしないさ 子供遊びは止めろよ
本当はこの地球(ほし)も 誰かが作ったニセモノで
金魚のように水槽で 飼われてたとして
たまにくる雷や各地を荒らす地震でさえ
実は飼い主がイタズラで 遊んでるだけで
考え出したら止まらないけど
もしそうだとしたら……
まさに悪夢・アクム
僕らの成長・進化さえも 癒しの一つでしかなくて
これじゃ何をしえど
最終的なみんなの運命は 葬り去られてしまうだけ
ココは皆無・カイム
実はソコには何もなくて 誰かの作る幻想で
だったとしたら 僕はまさに
誰かの作るカラクリにまんまとハマってるだけ
ココは皆無・カイム
森やビルや人でさえも 誰かの作る幻想で
だったとしたら 君はまさに
誰かの作るカラクリにまんまと手を貸しているのかい?
震災前と後では、まるで意味が違って聴こえる一曲。
もちろん復興しなけりゃならんし、復興させなきゃならん。
でも、たとえ元の暮らしが戻ってきたとしても、それはやはり「幻想」なんじゃないだろうか。
「飼い主」のイタズラで簡単に崩れ去ってしまう「ニセモノ」なんじゃないだろうか。
僕にはもともと世の中が、一つ狂えばみな狂う危うさを持っていたように思えてなりません。
サービスの上にサービスが成り立ち、それをいくつも積み重ねた頂上にようやく「豊かな生活」がある。
サービスのうち一つでも崩れれば、途端に生活は不安定になるということを、僕は今回知りました。
結局は、ガスや石油や電気が充分にないと機能しないシステム(カラクリ)を積み上げてきてしまったんじゃないかと。
今回の震災後の自分の生活や、首都圏で起こっている事を通して、まるで今までの生活が綱渡りだったかのような気がしています。
でも多分、人間社会は発展することを止めようとしないでしょう。
それは「経済成長」や「社会の進歩・進化」が、僕らの「癒し」になっているからでもあります。
映画館でつまらない映画を観る、ゲーセンのクレーンゲームでくだらないぬいぐるみをゲットする、そんなことが僕の「癒し」であるし、またそういう生活が戻ってくると信じています。
だけど、やっぱり、今まで通りのカラクリである以上、次の震災が来たらまた呆気無く崩れ去ると思ってしまう自分がいます。
この地球は、圧倒的に「自然」で、人間の作った「文明」なんて砂漠の蜃気楼に見るオアシスのような「幻想」なのかもしれないなあと、地震から2週間経った今、この曲を聴いてふと思いました。
とは言え、今この文章を書いているパソコンは「文明の利器」だったんだよな……。
幻想じゃなく、確実にここにあります(笑)