1939年、ドイツとソ連から攻め込まれたポーランド。ポーランドの将校アンジェイ大尉は、捕虜になった彼を追ってきた妻アンナと娘の目の前で、大勢の将兵と共に連行されていった……。アンジェイの母親の下へ身を寄せたアンナ。やがて、後に「カティンの森事件」と呼ばれる残酷な捕虜虐殺事件が発覚する。次々と処刑された将兵たちの身元が判明するが、死亡者リストの中にアンジェイの名は無かった。アンナは夫の無事を信じて待ち続ける……。
カティンの事件について語ることは戦後も厳しく禁止された。長い間明らかにされてこなかった同事件の真相を、ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダが、ソ連の捕虜となった将校たちと、彼らの帰還を待ちわびる家族たちの姿を通して描く。
個人的にはまたもや、自分がいかに世界史を知らなかったを思い知らされた……。
まあ、とにかく俺はもう大人なので、自分の無知は自分の責任。
1939年9月に、ナチス・ドイツとソ連はポーランドに侵攻し、ポーランド東部はソ連に占領された。
しかし、ドイツとソ連の関係がこじれ独ソ戦が始まると、ドイツ軍はスモレンスクを占領。
このとき、1万人以上のポーランド人捕虜が列車で運ばれ銃殺されたという噂を聞いて調査を行ったところ、1943年2月、ドイツ軍の中央軍集団の将校はカティン近くの森『山羊ヶ丘』でポーランド人将校の遺体が埋められているのを発見した。
これを受けてナチス・ドイツの宣伝相ゲッベルスは対ソ宣伝に利用するために、事件の大々的な調査を指令した。
言論の自由を奪われた人々が、戦後、どのように戦い続けたか、それを淡々と描いている。
ある者は、カティンで死んだ兄の墓標に「1940年カティンで死す」と記した。
その言葉がタブーであることは分かっていたが、その結果、反ソ宣伝の罪で逮捕される。
しかし、ソ連支配での間違った報道に関しては、それが嘘だと言うことを訴えた。
しかし、大将婦人から裏切り者と罵られてしまう。
自分の周りはすべてソ連の将兵。
真実を打ち明けることができない彼は、ある日ついに自分の頭を撃ちぬいてしまう。
次々と頭を撃たれる捕虜たち。
2人の男に両腕をつかまれて立たせられる。
後ろには拳銃を構えたもう一人の男。
捕虜の動きが止まりしだい撃鉄が引かれる。
ほんの数秒の出来事である。
アンジェイのときもまったく同じ。