人気小説家(デニス・クエイド)が朗読会で自著を読み始める。
それはある作家志望の青年(ブラッドリー・クーパー)の物語。
劇中の架空の話にたまーに現実パートが挟まれるようなそんな感じ。
ただ、劇中劇ということはあっという間に忘れてしまう濃厚な味わいだ。

副題にあるとおり、人生=物語の盗作の話。
人物の心情に寄り添った内容で、サスペンスではない。
例えば盗まれた側が激昂して世間に公表すると脅したり、盗んだ側が口封じに相手を殺そうとしたりなどといったサスペンスフルなことにはならないのが特徴。

罪の意識と真摯に向かい合う主人公の姿、物語を奪われた者が伝えたかったこと、そして何故この話を劇中劇として小説家に語らせているのかという謎が常にあって最後まで気になる。

結局ラストは意外なほど放り投げた感じもあるが、これは解釈次第で面白くもなるしつまらなくもなるタイプの映画だと思う。
朗読会の読み始める直前のセリフが自虐に聞こえたり、素直に見るのとひねくれて見るのとで結末が正反対になるような気が今してきた。
どちらにしても、最後にすべて解決するサスペンスではなく、むしろ何も解決しない。
解決しないまま生きていく人生そのものである。






※以下、ネタバレ考察につき未見の方は閲覧注意です。





まず登場人物の関係を整理しておこう。
リアルワールドで自著を朗読する「小説家」。
その小説に登場する作家志望の「青年」。
青年が盗んだ物語の本当の著者である「老人」。

青年と老人はあくまでも小説家が生み出した架空の存在だ。
だが、そんな架空の彼らの物語をこの映画はたっぷりと描く。
劇中劇がメインになっている。

普通に解釈すれば、これは劇中劇が小説家にとっては重要すぎる物語だからだろう。
つまりは、この青年は実は小説家自身がモデルであり、架空の物語は実際にあった出来事を基にしているということ。
小説家は自分の人生最大の失敗を本に書いたのだ。

その小説家の前に魅力的な若い女性が現れ、物語の結末を聞く。
小説家は何も劇的な結末はないと答える。
青年が盗作したことは闇の中に葬られ、青年はそのまま裁かれることはなかったと。

当然若い女性はそんな結末を嫌がるけど、小説家はそれが人生なのだと強い口調で返す。
この時の興奮の様子は、彼自身がそんな人生を嫌がっているかのように見えた。

小説家は裁かれたかったのだと思う。
自分の罪を記す思いで物語を執筆したのではないだろうか。
若い時分の過ちを許されもせず、裁かれもしないまま、自分の心に何十年も秘めていなければならない。
それを形を変えて世間に公表することは、彼自身が自らに与えた罰だったのではないだろうか。

ラストカット、独り取り残された小説家がカメラに向かって目を見張る。
この演技に意味があるならば、それはなんだろうか。
あの若い女性に自らの罪を告白すべきだったと気づいた表情か。
彼女は小説家にとっての「老人」で、罪を贖う最後のチャンスを棒に振ったことを後悔する表情か。

果たして正解があるのかもよく分からない。
ただ言えるのは、盗作した物語は老人にとっては人生そのもので、それを暴かれたことは取り返しのつかないことだったこと。
そして、そんな大変な罪を犯し、罪悪感に苛まれながらも、人はそれを心にしまって生き続けるのだということ。

もう一つの解釈はとんでもない仮説になるが、小説家は盗作された側ではないかということ。
かつて他人に自分の作品を盗作されながらも、決定的な証拠がなく自分の作品だと名乗り出ることができなかった…そんな過去があったとしたら、小説家が声を荒げて言った、罪を贖わなくても生きているという言葉は相手への恨みの言葉となる。

だからせめて自分の中で過去を清算するために、盗作する青年の話を書いた…とも解釈できる。
まあ、全部ただの憶測にすぎない。
他の人がどう感じたかちょっと気になる映画だった。



ザ・ワーズ 盗まれた人生
(2012年/アメリカ)
【監督】
ブライアン・クラグマン
リー・スターンサール
【キャスト】
ブラッドリー・クーパー
ジェレミー・アイアンズ
デニス・クエイド
オリヴィア・ワイルド
ゾーイ・サルダナ
ジョン・ハナー
ジェリコ・イヴァネク
ベン・バーンズ
ノラ・アルネゼデール
J・K・シモンズ
マイケル・マッキーン