攻殻機動隊 新劇場版
(2015年/日本)

【監督】
黄瀬和哉(総監督)
野村和也
【キャスト】
坂本真綾
塾一久
松田健一郎
新垣樽助
咲野俊介
中國卓郎
上田燿司
中井和哉
沢城みゆき
野島健児
浅野まゆみ
潘めぐみ
麦人
宮内敦士
NAOTO

*感想

「攻殻機動隊 ARISE」「攻殻機動隊 ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE」シリーズの続編となる長編劇場版「攻殻機動隊 新劇場版」。
ARISEの監督を務めた黄瀬和哉は総監督になり、新たに野村和也(監督作「劇場版 戦国BASARA」「ROBOTICS;NOTES」)が監督を務める。
(関係ないけどロボティクス・ノーツってProduction I.G.制作だったんだね。知らないで見てた)

ARISEで一新されたキャストは新劇場版でもそのまま。
脚本・冲方丁や、音楽・コーネリアスも続投となり、物語もARISEの時間軸から地続きでつながる。
「第4の攻殻」とされたARISEの集大成的作品だ。

それ故に、正直ARISEシリーズを鑑賞済みでないとなかなか難しい内容になっている。
攻殻機動隊の結成前だが、既に草薙素子を中心とした独立攻性部隊は組織されており、荒巻も登場するが、素子たちの正式なボスではない、という微妙なポジションを理解するにはARISEから見た方が良いと思う。

押井守監督の「Ghost In The Shell / 攻殻機動隊」などは、逆に補完できるものがなく、難解であることが監督のカラーになってたりするのだが、「攻殻 新劇場版」はARISE見れば少しは分かりやすくなるので、見ましょうARISE(笑)
ただ、ARISE見たところで小難しいことには変わりないけれど。





*以下、ネタバレを含みますので未見の方は閲覧注意です。






今回のストーリーは、大使館人質事件と、その裏で起こった総理大臣暗殺事件で幕を開ける。
事件の背後には「デッドエンド」を巡る政治的取引や電脳ウイルス「ファイア・スターター」の存在が見え隠れする。
やがて素子は捜査で掴んだ手がかりから自分自身の出生の秘密についても触れていく。


「デッドエンド」というのは、義体技術の大きな問題のひとつで、電脳の規格が変わってしまうことで古い電脳を使用する者が新しい義体への乗り換えができなくなってしまうことである。
古いバージョンの電脳では、最新の義体を動かすことができない。
すると義体を乗り換えることができないまま、やがてメンテナンスすらままならなくなり、朽ちていくことになる。(古い時計を修理に出したら現在は部品を生産してないので修理できないと言われるような感じだろうか?)

かといって、生身の部分である電脳をバージョンアップすることはおいそれとはできないようで。
義体業界もコスト面を理由に無視を決め込んでいて、やがてくるだろう義体・電脳ビジネスの時代は貧乏人にとっては暗いものになるかもしれない、そんなことを示唆している。

この問題は、別の形で私たちは既に経験していることである。
「新しい規格を買わされ続ける」状態は至る所にあって、例えばDVDとBlu-rayの大手
メーカー同士の闘いは記憶に新しい。他にもアナログテレビが地デジに統一されたりとか、旧型機のソフトを読み込まない次世代ゲーム機とか。
幸い生活に深く関わる問題ではないけれど、デッドエンド問題は攻殻の世界では生活どころか寿命そのものの話でもある。

加えて、電脳・義体ビジネスで巨大化した企業体がやがて国境や民族を超えて人々を管理・統治するようになるという未来観もサラリと提示している。
資本主義経済の行き着く先に警鐘を鳴らしているのかもしれない。


そんな攻殻らしい小難しい話もありながら、スピーディーな展開でアクションシーンもふんだんに盛り込まれていた。
過去最高に突撃かましてると思う、新劇場版。
それからボーマ・キャノンも見れたし(笑)あれは攻殻ファンなら一見の価値あり。

攻殻ARISE AAの感想で「攻殻機動隊はエモーショナル」と書いたが、今回はその視点で見るとむしろ分かりやすいくらいだ。
今作のテーマは「仲間」である。
素子がかつて所属していた501機関の仲間と、彼女が自ら集めた攻性部隊の仲間が対照的に描かれる。

素子がARISEの物語で出会い、部下にした6人のスペシャリストな男たち、バトー、トグサ、イシカワ、サイトー、パズ、ボーマ。
素子は彼らを「最高のパーツ」と呼び、「パフォーマンスを発揮できなければパージする」と言い放つ。
パーツ呼ばわりされたことに反発もするメンバーだが、皆どこかで素子のカリスマに惹かれている。
男たちが自らのゴーストに従い素子の下に集うラストミッションは以外にも王道の展開で面白かった。

他にも、サル呼ばわりにゴリラ呼ばわりや、トグサがけっこう仲間たちからいじられていたりと、とにかく「仲間」を感じる攻殻だった。
これは押井守の攻殻にはなかった要素で、誰でも共感しやすいと思う。
ストーリーは相変わらず小難しいが、論理的な理解を諦めたらけっこう分かりやすく感じるのが意外である。