屍者の帝国
伊藤計劃、円城塔
*感想
人間が死後、「屍者」として蘇生され、物言わぬ労働力として活用されている世界。
ロンドン大学の医学生ワトソンは、ヴァン・ヘルシングの紹介で政府の諜報機関「ウォルシンガム」指揮官Mと面会し、組織に迎え入れられる。
ワトソンへの指令は、アフガニスタン北方に「屍者の王国」を築いたカラマーゾフの動向を調査すること。
ワトソンは、ウォルシンガムのバーナビー大尉、記録係の屍者フライデーと共にアフガンの奥地に向かうが、それは禁断の屍者技術を巡る長い旅の始まりにすぎなかった。
書評できるほど読書してないのだが久しぶりに読書感想文など書いてみようと思う。
2009年に34歳の若さで亡くなった作家・伊藤計劃。
彼が遺した序文やプロットを基に、同期デビューの作家・円城塔が書き継いで完成させたのが「屍者の帝国」だ。
ちなみに伊藤の作品「虐殺器官」「ハーモニー」と、この「屍者の帝国」は、劇場アニメ化が決まっており、年内の公開が迫っている。
舞台は、屍者化技術が確立し、現実とは違う歴史を歩んでいる19世紀後半の世界。
人間は死後、科学的な処置によって「屍者」として蘇る。
屍者には自我がなく、脳に専門的なプログラムを施すことで労働力となる。食事もいらなければメンテナンスも必要とせず、苦痛も感じない。
日常生活の至るところで屍者は活用され、人々の暮らしに屍者は欠かせないものとなっている。
そんな世界を舞台に展開する物語。登場する名詞がいちいち興味深い。
主人公の名はジョン・H・ワトソン。もしかしなくてもあの世界一有名な名探偵の相棒だ。
さらにヴァンパイアハンターのヴァン・ヘルシング。諜報機関のボスのコードネームは「M」。ウォルシンガム機関には「Q部門」なるものもあるようなので、これは「007」シリーズに関係している。
もっとも「M」は本名をマイクロフトといい、これはあの名探偵の兄の名ともかけている。その名探偵も会話の中でだけ登場したりする。
で、さらにワトソンがその存在を追うことになるのは、フランケンシュタイン博士が生み出した最初の屍者「ザ・ワン」、つまりフランケンシュタインの怪物。
私が分かったのはこのくらいなのだが、古今東西の有名なフィクションから名前を拝借しているのが分かる。
いや拝借しているだけではなく、その人物そのものを描いているのだと思う。(おそらく歴史上の事件も何個か実際の事件を書いてる)
もしも屍者化技術があったら…というifの世界を舞台に著名なキャラクターが登場する作品だ。(アベンジャーズと呼ぶのはさすがに大げさだろう)(でも思いついたので書かずにいられなかった。ごめんなさい)
こういった遊び心は伊藤計劃にしては珍しいような気がする。…といっても長編2冊と短編集を読んだくらいなのだが。
でもプロットは伊藤計劃のものなのでやはり伊藤計劃がこの楽しくも混沌とした世界を作り出したんだろう。
意外にも、その後を引き継いだ円城塔の方が、伊藤計劃「的」な難しく深刻な話を書いていたと思う。(とは言ったものの円城作品読んだことないのでこれが円城塔の作風だったならごめんなさい)
伊藤計劃が一人で書き終えていたらもっと明るい話になってたりしたのかな?…なんて思ってみるも、それこそifの世界だ。
今作のテーマは、「人間の意識」の話になってたような気がするのだが正直あまり理解できていない。
とにかく難しいんですよこれ(笑)なんか読み進めるのが辛かった。
ただ、終盤で出てきた「生者がみんな屍者として生きる世界ならそれもアリじゃね?」的なブッとんだ思想はとても好きで、それってつまり「ハーモニー」で伊藤計劃が描いた究極の社会と同じだと思った。
無意識の行為ですべてが成り立つ世界。考えるより前に身体が動き、悩みや戸惑いはなく、なすべきことをなすのみの社会。
けして不幸ではないその世界を受け入れられるかどうかという問いが、「ハーモニー」に続いて出てきたのはなんだか嬉しかった。
あとは、登場人物が個性的で魅力に溢れている。
豪快が服を着て歩いているようなバーナビー英国陸軍大尉。
沈着冷静で冷酷無比なロシア諜報部員クラソートキン。
超美人で超能力を有する淑女ハダリー。(ラストではあのファムファタールを名乗る!)
斬鉄をやってのけるサムライ・ウォリアー、山澤静吾は某怪盗アニメに出てくるつまらぬものを斬る人みたい…。
場所を変え、人を替え、さまざまな物語・事件が展開する。
それが中々に込み入っていて(勢力図とか)、一度に理解するのが難しかったのだが、キャラクターたちの軽口が飛び交うやりとりは楽しめた。
それから、ワトソンの相棒とも言える屍者のフライデー。
少年の屍者で記録係、または辞書、あるいは翻訳機という優れもので、この作品はワトソンがフライデーに書き記させた文書という体裁をとっている。
まあ、本来なら「フライデーけなげ」とか「フライデーかわいい」とか思ってもいいのかもしれないが、何せ「屍者」なので、どうしてもゾンビ的なものを想像してしまってそこまで印象には残らなかった。(表紙は可愛らしいが生気ないし…)
ところが、劇場アニメ版のビジュアルが公開されるとけっこう可愛いので困っている。
しかもワトソンが自我がないと分かり切っているフライデーに話しかけたりしてるのでますます困っている。
原作はワトソンとフライデーの関係については淡白で、終盤でフライデーの気持ちがほんの少しだけ描かれただけなのだが、もしかして劇場版はそこをメインに据えていくということなのだろうか。
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