サマーウォーズ

細田守×奥寺佐渡子×貞本義行=、どうなるかなんて映画見る前から分かってた。
「時をかける少女」を去年の夏に地上波で見ていたから。
見る前までは自分の中では「時かけ2」などと呼んでいた。

そこへジブリ作品の美術監督が加わってきたことも、俺にとって期待感を生むことにはならなかった。
むしろ、俺は宣伝されればされるほど観る気を失くす、天の邪鬼なタイプなので、TVCMでの「お願いしま~す!!」も、試写会見終わった女性が目に涙を浮かべながら「感動しましたぁ…」というシーンも、観る気を失わせるためのファクターだった。
逆に「セントアンナの奇跡」のようにTVCM一回も見てないけど結構長い期間上映してるよな、という映画の方に興味が湧き、実際、そういう映画も今年は数本観ている。(結局セントアンナは見逃したが…。)

じゃあ観なけりゃいいじゃん、と思うかもしれないけど、半分恐いもの見たさというか、本当に「時かけ2」みたいな感じの映画だったらブログで徹底的に斬ってやろうと思って、いつものように、たまたまもらえた有休の、たまたまメンズデーの映画館で、たまたま上映していたので、見てきました。


で、期待(俺の場合、期待と逆の意味)は思いっきり裏切られた。
(「時かけ2」は早くも撤回する)



他のレビューでも数万回書かれてそうで非常に不本意であるが、
敢えてここに、「おもしろかった。」と書いておく。
これがこの「サマーウォーズ」に対する俺の基本的感想というか立ち位置であることを覚えておいて欲しい。(このあと、とんでもない方向へ話が進みそうなので…)



冒頭で語られるOZネットワークの利用者案内。(公式サイトで動画見れますのでそちらを見た方が早い)
初期(?)のcapsuleが音楽で作り出した「空飛ぶ都市」や「近未来」を思わせるような、ポップでファンシーな世界。
現役アナウンサーの声によって説明される利用案内は、期待と同時に頭の中が混乱するような、例えばPCを初めて買ってきて電源を入れて始まるセットアップシーンのような、そんな印象を受ける。
現実世界の主人公にクローズアップするのではなく、いきなり仮想世界の中の仮想世界に観客を連れ込んでしまう。
そこでこれから何が起こるのか、誰もがドキドキワクワクするだろう。

OZネットワークは映画内の世界では比類なき(あるいは唯一の)トータル・ネットワークだ。
世界中の人々が自分の分身「アバター」を介して交流しコミュニティを形成するほか、役所や企業がOZ内に窓口や店舗を設け、実生活に必要な納税や買い物もOZ内で済ませてしまえる。

OZが現在のネットワークと何が違うかと言うと、一つの巨大なセキュリティにすべての情報が集中している、という点。
これが、OZの危うさであり、主人公・健二と陣内一族が立ち向かう羽目になった敵を生み出した一つの要因でもある。
そのセキュリティが乗っ取られたために、OZ内の機能が乗っ取られ、現実世界にまで影響を及ぼした。
列車の運行プログラムや、各種通信、果ては水道管の弁の開け閉めまで、ありとあらゆることをOZを介して行っていたため、現実世界はかなり大変なことになった。


この出来事を電子ネットのもたらす脅威と見る人も多いと思う。
気の早い(そしてデジタルに疎い)大人は、「便利な物は不便」と吐いて捨てるだろう。
しかし、問題はデジタルにあるのではなく、デジタルの扱い方にある。
この映画の場合、「OZにすべての情報・権限が集中していた」こと、ただその一点である。
「サマーウォーズ」世界ではOZの危うさゆえに大事件が起こったが、だからと言って「現実の世界のネットも同じ危うさを抱えている」というのは、少し飛躍しすぎな気がする。
たとえ、細田守監督が「デジタルがはびこる現代への警鐘」の意味を込めて描いたとしても、俺はその解釈は受け入れられない。

家族。

二十数名の親戚が一堂に会する。
それでも、夫婦の片方が登場しないカップルが数組いるので、全員登場していれば30人に及ぶかも知れない。

みんな個性的、と一口に言ってはいけない。
男たちは自分の職業を武器に、最年長の「師匠」から高校球児まで、みんな活躍する。
女たちは、基本的にひたすら家事をこなすばかりで、活躍という活躍はしていないように思えた。
性格や立場の違いは分かる。ただ、「個性的」というか「独自性」を持たせるまで昇華できなかった感はある。それでも、女たちが存在感を放っていたのは、陣内家が女系…女が強いから?なのか?
ていうか、そもそもどれがどの夫で妻で子供なのか観てる間はまったく理解できない。
公式サイトで家系図見てようやく全体像が見えた。

家族の絆。
これも数千回書かれてそうなので、書くの嫌だな。
「現代人が失いがちな、家族の絆を描いた」とか。ありそうだ。

思えば「重力ピエロ」も家族の絆が大きな一つのテーマだった。
原作者も映画監督もそれがテーマの一つだと認識していた。
それを観た人たちもそう思った。俺もその一人だ。
でも、天の邪鬼な俺は「そこ」では共感したくないのだ。

ただし、「サマーウォーズ」を観て気づいたことがある。
結婚すると、配偶者の家の人たちも自分の味方になってくれる、という点。
配偶者の実父、実母、兄弟、配偶者の叔父、叔母、祖父母、配偶者の兄弟の配偶者…。
自分の側にも同様に実父、実母、祖父母、兄弟がいる。
これだけの人が集まれば、困ったときには誰かが手助けしてくれるかもしれない。
「サマーウォーズ」では、ラブマシーンを倒すために男たちが、それぞれの仕事の分野で協力するというシーンがある。
女たちには「男ってなんで馬鹿なのかしら」と言われてしまっても、俺はそのシーンが結構好きだ。
もちろん、信頼を得なければ協力はしてもらえないけれど、日本では家と家の結婚という意味合いがいまだに強いから、容易なことかもしれない。

それこそ、「人の繋がり」なのだろうな。
で、結局は「絆」という言葉でみんな共感するわけだ…。



「キングカズマかっこいい!」(ちなみに髪の毛のないキングカズマが好き)

これも1万回は書かれてそうなので、省いておきたいが、重要な見所なのでそうもいかない。
キングカズマに限らず、登場人物のほとんどのOZ内でのアバターが登場する。
ラブマシーンを倒すために、佳主馬(かずま)や夏希がOZを舞台に対決をする。
その姿は当然アバターである。ポップな。

クライマックスの展開そのものが非常に明快であることと、アバターが所詮アバターであるせいもあって、
クライマックスは若干年齢層が低めな印象を受けた。
決着に至るまでの道のりはいろいろごちゃごちゃしていたので、例えば、ラストだけ観ると「子供向けじゃん」という感想も出てくるんじゃないかと思う。
まぁ、ラストは単純に終わった方が観てる方としては気持ちがいいけれど。

アバターにしろ、OZのタワーにしろ、12時の時報と同時に一斉に飛び出す何十局もの「お昼のニュース」にしろ、すべてのデザインが最高に可愛くて、夢のようで、かつ最先端である。
日本のアニメはまだまだ新しい誰も見たことのない映像を描き続けてくれるんだな。これは信じる。
エンドロールに韓国人アニメーターの名前がズラズラっと並んでも。

もう取り戻せない青春。

山下達郎の歌う主題歌がエンドロールで流れた時、素直に思ったことは、「この映画はオジサンが見た夢」だということ。
こんなに刺激的かつノスタルジックかつ心暖まる人たちに触れ合えてなおかつ恋も実るなんてひと夏の経験、一体、誰がしましたか?
俺はしてない。細田守はしただろうか?奥寺佐渡子はしただろうか?貞本義行は?

俺の青春は、いや青春なんてあった覚えがないが、健二と同じ年の頃には「女」「海」「スイカ」は別次元の話だった。(スイカは食べたか…)
いわゆる、冴えない、モテない、高校時代をすごした。
唯一、部活には一生懸命取り組んだつもりでいるけど、放送部だからな、運動部と違って目に見えて頑張ってるわけじゃないし、試合に勝って誰かを喜ばせることも、誰かに応援してもらうこともなかった。
色に例えるなら灰色の3年間だった。

でも俺は青春時代が灰色で構わないと思う。
ていうか、バラ色の青春を体験した人が、一体どれほどいるんだろ?
ドラマや漫画や小説のような青春なんて、掴み取ろうとして掴めるものじゃない。実際にあるものでもないし。
「青春」を美化しすぎなんだ。

だから、主題歌が同年代の若者ではなく山下達郎が歌ったことに、今では逆に違和感なく納得できる。
あぁ、これはオジサンたちが抱いてる青春なんだ、と。
細田守が、そして多くの青春を味わい損ねた人間たちが、求めてやまない青春なんだ、と。


実は、この映画を観終わって、映画館を出て、駅に向かって歩き出したあたりから、俺はかなりヘコんでいた。
なんで、俺はこんな青春を味わえなかったんだろう?とか、どうしたら、こんな風に一生懸命に生きられるんだろうとか考えて、人生を無駄に過ごしてきたな、と思っていた。

こういう気持ちになったのは、「サマーウォーズ」が初めてじゃない。
去年の夏にTVで観た「時をかける少女」も、観た後で、同じように自分の今までの人生が灰色に見えて哀しくなった。
本編を観てる間は楽しいのだ。だが、観終わった後で、無性に辛くなる。
理由は何となく分かる、主人公に感情移入したうえで、もう取り戻せないものを見せ付けられてしまったからだ。
この青春は、もう俺は一生手に入れられない。
時間を遡ってやり直せたら手に入るのか、といえばそうじゃないけど。

「生まれ変わったら何になりたい?」と聞かれたら、「アニメでも小説でもいいから主人公に生まれ変わりたい」と答えかねない今の俺。
たとえ、再生ボタン押される度に同じことを繰り返すだけの存在だとしても、その中で自分の役割を見つけ、泣いたり笑ったり怒ったり精一杯生きられるのなら、一見すべてが自由に見えて、実際は自分の人生の意味も役割も知らず、感情を素直に表現することもなかなか難しい現実よりも、よっぽど幸せなんじゃないだろうか?
こういうのを現実逃避と言うんだろうな。
でも、そういう気持ちに、映画を観た後数日間、なった。
もし細田守と奥寺佐渡子がタッグを組んでまた映画を作っても、こういう気持ちになるのなら、正直見ようかどうか、今の時点では迷ってる。


まとめ

いろいろごちゃごちゃ書いてますが、最初に言ったとおり、サマーウォーズはおもしろい。
いや、「楽しい」と言ったほうが適切か?
メンズデーだったとはいえ、月末の木曜日に両隣の席に知らない人が座ってる体験は、そうそうない。
てか、いつもどんな映画観てんだ、俺。
「この夏一番のアニメ映画」という評価は、実にそのとおりだった。
最後に言わせてくれ。試写会観終わった人みたく。
サマーウォーズ、最高!!!!


(まったくの余談だが、ポスターや公式サイトのTOP画に栄ばあちゃんが描かれてないのは、やはり物語の進行を意識して???)