感動器官

笑い、涙、鳥肌、私たちの感動を現出させる器官。

2015年03月

【人形劇】シャーロックホームズ

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シャーロックホームズ

【脚本】
三谷幸喜
【キャスト】
山寺宏一
高木渉
堀内敬子
平岩紙
関智一
高泉淳子
岸尾だいすけ
梶原善
浅利陽介
三瓶由布子
江原正士
中村梅雀
段田安則

感想

昨年10月から今年2月にかけて全18話が放送されたNHKの人形劇「シャーロックホームズ」。
脚本は三谷幸喜、パペットデザインは井上文太、人形美術・操演はスタジオ・ノーヴァ、音楽はスパニッシュ・コネクションの平松加奈。
NHK人形劇の前シリーズにあたる「新・三銃士」と同じスタッフが集結ということで見てみた。



■学園モノへのリビルド

全寮制の名門校ビートン校に転入してきた15歳の少年ジョン・H・ワトソンは、ベイカー寮221B号室でシャーロック・ホームズという少年と同室になる。
問題児とされるホームズだったが、彼には並外れた観察眼と洞察力で物事の真実を見抜く力があった。
やがて2人は、生徒たちからの依頼を受け、学校で起こる様々な事件を解決していくことになる。

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アーサー・コナン・ドイルの生み出した名探偵シャーロック・ホームズの物語を、大胆にも学園ドラマへと再構成した作品。
自身もシャーロキアンである三谷幸喜の脚本で、彼らしい笑いも散りばめられていた。
個性的で魅力的なキャラクターも大勢登場する。

一部の前後編の構成のものを除き、ほとんどが一話完結になっている。
事件の発生から捜査、謎解きまでが一話で描かれるのだが、それを毎週20分の放送時間でやってしまうのがすごい。

学園ミステリーということで殺人事件や凶悪犯罪は描かれない。(一つの例外を除いて)
しかし、それでも人間の感情はしっかりと描いていて、なおかつ20分でまとめてしまう構成力。
しかも、ただまとめるだけじゃなく、ちゃんと面白いのだからすごいと思う。

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さらに、主人公ホームズを演じた山寺宏一の演技も相変わらずのすごさだった。
今作のホームズは成人男性ではなく、15歳の少年である。
いくら天才といっても、物語の中では少年らしい行動や言動も出てくる。

そんなまだ未成熟なホームズを、もういい大人の山寺宏一が演じるんだから面白い。
そして例の如く、脇役の動物まで一手に引き受けている。
ちなみに録音はプレスコ方式で、先に収録された音声に合わせて人形を操演したらしい。



■個性的な脇役たち

原作に登場したキャラクターたちが、この人形劇では身分や年齢を変えて登場する。
宿敵モリアーティ教授はモリアーティ「教頭」として、アイリーン・アドラーは保健室の先生として登場する。
私は原作は読んだことがなくてまったく無知だが、だからこそ改変されたキャラクターたちをありのまま受け入れることができたと思う。

そして、彼ら脇役は事件の関係者として登場するだけではない。
学園生活を共に送る仲間として、事件が解決した後もふとした場面で登場したりするのだ。
例えば、ワトソンその他の男子から好意を寄せられるメアリー・モースタンや、なにかと素行が悪いウィルスン・ケンプなど…。
もちろんレストレードやハドソン夫人は準レギュラーという感じで頻繁に登場する。

そんなところも三谷作品らしいと思うし、人形劇というジャンルなので、製作したパペットを最大限利用するという意味もあったのかもしれない。
おかげで、全18話という少し短い期間だったが、登場するキャラクターたちに愛着が芽生えるには充分だった。

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さらに、そんな魅力的なキャラクターをゲスト声優として様々な俳優が演じている。
妻夫木聡、藤原竜也、前述のメアリー・モースタンは最近私の中で急上昇中の石橋杏奈だし、ホームズが憧れるアドラーは宮沢りえが妖艶な年上女性を見事に演じていた。

中には、キャストのイメージを元に人形をデザインしたとしか思えないようなキャラクターもおり、そういう遊び心も相変わらずで楽しめた。
こういう遊び心は、「中の人」のことを知っている大人の視聴者へ向けられたサービスだろう。




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シャーロキアンの人たちはこの人形劇をどう評価したんだろうか。
まあ、目くじら立てて怒るような内容ではないし、概ね好意的に受け止められたんじゃないだろうか。
そもそも真面目なシャーロック作品ではなくて、最初から学園モノというパロディの土俵で闘ってるわけだし。

シャーロック・ホームズをモチーフにした三谷幸喜の作品を見た、という感じだ。
そして、この作品はまさしくそういうコンセプトの作品だ(笑)
期待した通りの出来だったということで満足させてもらったと思う。

実は、公式サイトによると夏には未発表のエピソードが放送されるとのことで、そちらも今から楽しみだ。

【映画】あしたのジョー



あしたのジョー(2011年、日本)

【監督】
曽利文彦
【キャスト】
山下智久
伊勢谷友介
香里奈
香川照之
勝矢
倍賞美津子
津川雅彦

感想(2015年3月8日、TV録画にて鑑賞)

「あしたのジョー」は見たことがなくて、TVの特番で懐かしのアニメ名シーンとかで得た情報しかないんだけど、さすがにこの実写版は原作ファンから叩かれるだろうなあと分かる出来だった。

役者はそれぞれ自分の仕事をしっかりやっていたし、芝居へのストイックな面も見せてくれたと思う。
じゃあ監督が悪いのか、となりそうだけど、個人的に曽利監督のことは叩きたくない。(←なんだそれw)
曽利文彦は映画「ピンポン」「アップルシード」、綾瀬はるか主演の「ICHI」などが代表作のCG畑出身の映画監督。

そもそも漫画やアニメの実写映画化というもの自体がいろいろ制約があって難しいわけで、安易に企画しちゃダメなんだろうと思う。
ただ、この作品は、仮に漫画原作でなくオリジナル作品だったとしてもいろいろダメだったとは思うが(汗;

説明・描写不足だった気がしたが、TV録画でいろいろカットされているようだったので、不足してる点については黙っておこう。
逆に描写された点については言いたいことが一つだけある。

あの、ノーガード戦法の描写なんだけど、どうしても笑ってしまう。
原作準拠だとか、実際の利点だとかは関係なく、ボクシング映画の最終ラウンドでアレをやっちゃうのはどうなんだろうと思った。
満身創痍というわけでもなく、まだピンピンしてるのに両手を下げちゃう。

しかも、肩を前後に揺らして誘ったりする。野鳥の求愛ダンスか。
しまいにはライバルの力石まで両手をダラリと下げて、ジョーと一緒に肩を揺らし始める。
プロボクサーとしての矜持はどこにいってしまったのか。
ジョーについては丹下の親父さんとの特訓の日々はまったく無意味だったみたいに見えてしまう。

そもそも、クロスカウンターって実力が同等の者同士が疲弊しきった極限状態で起こるからドラマがあるんじゃないだろうか。
試合の最初からカウンター狙っていくってなんなの(笑)
しかも相手がカウンター狙ってるって分かっててカウンター返しを狙うとか…。
決着はカウンターのカウンターのカウンターとか…。なんなんだもう…。

【映画】アメリカン・スナイパー




アメリカン・スナイパー(2014年、アメリカ)

【監督】
クリント・イーストウッド
【キャスト】
ブラッドリー・クーパー
シエナ・ミラー
ルーク・グライムス
ジェイク・マクドーマン
ケビン・ラーチ
コリー・ハードリクト
ナビド・ネガーバン
サミー・シーク

感想(2015年3月5日、MOVIX仙台にて鑑賞)

私は戦争映画はどちらかというと苦手だ。
クリント・イーストウッド監督の作品もあまり好きじゃない。
じゃあ観に行くなよ、という話なんだけれど、見逃してモヤモヤするよりはと思って観に行ってしまった…。
そして、案の定「ウーン…」と唸りながら帰ってきた。

けして駄作ということはなくて、やはり話題になるだけのことはある映画。
でも、記憶に残るかといえば、正直そこまでのインパクトはなかったと思う。

米軍最多の160人を狙撃した兵士が主人公で、彼は何度も戦地と本国を行き来するうちに精神が不安定になっていく。
戦地では現地の武装組織と毎日殺し合いをして仲間も大勢殺されている。
しかし、国に帰ればそこには「平和な生活」がある。戦争のことなどどこ吹く風で、人々が気にしているのは例えば夕飯の献立とか日々の生活のことだ。
その平和が主人公を癒すどころか逆に精神を蝕んでいく。

そこがこの映画の一番のテーマだと思うんだけど、その一方で戦闘パートもしっかりと描かれる。
敵の狙撃手ムスタファなるライバルも登場し、お互いに相手の影を追いながら戦っていく様子は西部劇などにも通ずるものがあると思う。
主人公とムスタファの狙撃手同士の戦いは純粋に燃えたし楽しかった。

ただし、この映画「楽しかった」では終わらせてくれない。
よくある反戦映画的な印象を極力避けているように見えて、でもやはり反戦の名の下に作られているので、どんなに戦闘シーンがかっこよくてもそこで盛り上がることをためらってしまう。

無感動に観てしまった。というより無感動に観るしかなかったと思う。
こういう兵士がいた/いることを知らなければならないから観た、こんな状態に近い。
やっぱりイーストウッドとは相性が悪いのかな…。



私がイーストウッド苦手な理由は、「グラン・トリノ」や「ミリオンダラー・ベイビー」の結末が「カッコつけ」に思えてしまうからだ。
この「アメリカン・スナイパー」は実話を元にしているので、そういったイーストウッドの思い描く理想の死に方的なものはなかったが、でも最後の最後にあのエンドロールがあった。

エンドロールのあの演出は、鎮魂の意味と、衝撃的な内容について「皆さんはどう思いますか?」という問いかけの意味があるように思う。
しかし、この映画では答えは既に出ているような気がするし、というか答えを出すも何も、この映画に疑問を挟む余地はなかったのだ。

戦争映画として「反戦」という大きな意義はあるけれど、この映画にしかできない問題提起はなんだったのか?
なんだかまとまらないが、とにかくどこかもどかしい思いのする映画だった。

【映画】百円の恋




百円の恋(2014年、日本)

【監督】
武正晴
【キャスト】
安藤サクラ
新井浩文
根岸季衣
稲川実代子
早織
宇野祥平
坂田聡
沖田裕樹
吉村界人
松浦慎一郎
伊藤洋三郎
重松収

感想(2015年3月4日、フォーラム仙台にて鑑賞)

いっしょうけんめい汚いのでとても美しい。



30過ぎのニート女性が、家出をきっかけに一人暮らしを始め、ある中年ボクサーと出会い自分もボクシングにのめり込んでいく物語。
主演は安藤サクラ。中年ボクサー役に新井浩文。

基本的に主人公も含めてダメ人間というか欠陥を抱えた人間しか出てこない。
離婚して出戻ってきた妹はイライラしているし、なんか自信のない父親は家庭内で邪魔な存在になっている。
主人公自身が一番ヤバイのだが、30過ぎて仕事も家事もせずにゲームして過ごす毎日。
既に女も捨ててしまった感じで、正直「ヒロイン」という感じはしない。

彼女・一子がバイトすることになったコンビニの人間たちも最悪だ。
さらには、彼女が恋する中年ボクサーですら、無愛想でチンピラ然とした男だ。
要するにこの映画は(言葉は悪いが)クズで溢れかえっている。

しかしそんな教養もモラルもない人間たちをこの映画は特に否定も糾弾もしない。
多分、これが今の世の中の縮図だからだろう。
誰も彼も余裕がなくて、利己的で他人への愛情に欠ける。
底辺で生きる者たちは底辺に相応しい低俗な人間になっていく。

そんな末期的な社会を打ち砕くもの。
それが、ボクシングに魅了される主人公の姿を通して描かれる。
周りはクズばかりのクソみたいな毎日を、一子のパンチが打ち破るかもしれない、そんな期待感に溢れていた。

とにかく一子のモニョモニョした喋りと、トレーニングでのキレのある動きのギャップが面白い。
音楽の力もあいまって、練習風景はかなり盛り上がった。
泥臭い映画なのに、爽やかな感動がある映画だと思う。

【アニメ】艦隊これくしょん -艦これ- 第11話

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艦隊これくしょん -艦これ-
第11話「MI作戦!発動!」

感想

「慢心はダメ…!」←

ラストミッション前の大事なパート。
意外にもここにきて赤城にスポットが当たった。

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同じ悪夢を繰り返し見る赤城。
その中で赤城たちの艦隊は敗北し、ついには雷撃処分されてしまう。(介錯人は不知火かな?)
これは予知夢なのか、それとも…。

たしか原作ゲームでは、艦娘は艦艇の魂を受け継いだ存在という設定だったかな。(そのへんは無知)
要するに艦娘が何者で、どこから来てどこへ行くのかということは擬人化というテーマの都合上曖昧にしてあり、そこを突っ込むのは野暮だろう。

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しかし、今回はあえてそこの謎を取り上げていた。
赤城と長門の会話を通して、艦娘が自分の存在理由を自問するきっかけを作り出している。
自分たちはかつて一度同じ戦いをしたのではないか…?
赤城はその可能性を感じて、長門に悪夢と異なる人員配置を意見具申する。

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長門は眉間にシワを寄せていても、下の艦娘らは割と呑気なもんである(笑)
最終回直前なのに牛乳エピソード…。最終回直前なのに…。



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出撃前夜の吹雪と赤城。
赤城に感謝する吹雪に対して、それは吹雪自身の努力の賜物だと赤城。
しかし吹雪は、鎮守府の仲間が好きだからみんなの仲間になりたいと言う。

何故この鎮守府に配属されたのか、何故足手まといの自分なのか、そんなことで悩んでいた吹雪はもういない。
水雷魂をもってトレーニングに励み、改にまでなった今、吹雪が思うことはこの鎮守府や仲間たちを守ることなのだろう。

吹雪の真っ直ぐさに心を打たれた赤城。
彼女も、夢などという雑念に囚われず、成すべきことを為そうと決意する。

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・轟沈した子(←もうネタバレしてもいいだろか?笑)の墓の前で「いってきます!」「いってらっしゃい!」
・そして謎シルエット!ここにきて新艦娘の登場!?マジですか次回は最終回ですけど!

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大和、発進!…で胸熱艤装シーンかと思いきや、スポットライト当たって終了…。
だから…出撃シーンと艤装(変身)シーンはちゃんとやってくだちぃ…(涙)ラストミッションの出撃シーンは一番胸熱なはずなんだぞぉ…orz
しかも今回最後の出撃じゃんっ…!



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赤城を旗艦とする機動部隊は、敵本拠へ向け出撃。
しかし途中で合流するはずの大和含む主力艦隊が定刻になっても来ず、無線封鎖のため独自の判断を迫られることに。

赤城は好機を逃さずに先へ進む選択肢を選んだけど、これは慢心じゃなくてそれが一番確実な選択肢だったからかな。
吹雪と金剛を連絡係に置いていったのも二人が頼れる艦だからで、敵を見くびっていたわけではないと思う。
(でもヒロインの胸騒ぎはよく当たるのも事実!笑)

発見した敵主力・飛行場姫?(←すいません、このイベントの時やってませんでした…)に航空戦を仕掛ける一航戦・二航戦。
見事、先制攻撃を食らわすが更なる攻撃のために残りの艦載機も彼方の戦場へと飛ばす。

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逆にそこを背後から迫っていた空母ヲ級率いる敵艦隊に捉えられ猛攻を喰らう赤城たち。
艦載機をすべて攻撃に回したために防空のための航空機も出せない…!
ジリジリと追い詰められていく艦娘たち。

北上が、いつもの癖で「大井っち、右は任せたよー」→「そうか、いないんだったねー」と言って被雷する。
そう、今まで毎回毎回くどいくらいに繰り返された大井・北上のイチャつきが、ここに来て伏線として皮肉な形で収束される。
彼女たちを別の艦隊に分けてはいけなかったのだ…。
そして、その編成案を意見具申したのは赤城…ああっ!!

しかしこの展開、赤城さんの慢心のせいではないと私は思う。
どうしても原作ゲームのセリフが頭をよぎってしまうけど、アニメでは不可解な夢の内容に慎重になっていたし、合流地点や第二攻撃の判断も、慢心というよりは覚悟した上での行動だった。
編成案についても、運命に抗おうとした結果だったわけだし。

それよりも、ヲ級の執念が勝ったということだと思う。
またしても左目を失ったヲ級、かつて吹雪が撃退したヲ級である。
鎮守府を襲撃し壊滅的なダメージを与え、今度は味方主力を囮にして敵背後から奇襲・殲滅を狙ってきたのだ。

このヲ級というキャラクターも、いつも無表情な物言わぬ悪役ではあるけれど、彼女の行動には間違いなく負の感情からくる執念が働いており、それゆえに魅力的に感じてしまう。
ものすごく変な帽子かぶってるけど…!



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さあ、赤城センパイ大ピンチ。
次回、最終回はどう幕を閉じるのか、どこまで描くのだろうか。

ふと、思ったんだけど、五航戦は何をしてたんだろう…?
今回、空母機動部隊は史実に倣って赤城・加賀・飛龍・蒼龍という編成だったけど、今までのストーリーを考慮すれば、二航戦よりも五航戦の方が目立ってたしドラマもあったと思う。

飛龍・蒼龍ファンには申し訳ないけど二航戦は正直言って前回初めてセリフ喋ったような扱いだったわけで…。
それよりも何かと衝突を繰り返した加賀と瑞鶴の関係を活かすべきじゃないかと。
赤城・加賀・翔鶴・瑞鶴でもよかったんじゃないだろうか。
史実通りにやる必要なんてないし、そもそも艦これのどこが史実通りだと言うの…!?

それにしても瑞鶴はどこに行ったんだろう…?
トラック島で加賀さんに頭撫でられたのを最後に見てない気がする。
まさか、赤城のピンチに駆けつけるのが五航…いやいやいやいや(笑)

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フラクタル

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フラクタル

【監督】
山本寛
【アニメーション制作】
A-1 Pictures
【キャスト】
小林ゆう
津田美波
花澤香菜
井口裕香
浅沼晋太郎

感想

2011年1月から全11話が放送されたSFアドベンチャー・アニメ。
いろいろと発言が自由なことで知られる山本寛が監督を務めた。
彼のアンチファンが失敗作としてよく挙げる作品なんだけど、某アイドルアニメで山本寛作品にふれた私としてはちょっと気になる所もあり、自分の目で確かめる意味も込めて見てみた。



■敗北する物語

舞台は、フラクタルシステムという機構によって人々が居ながらにして幸福を享受できる時代。
人々は自分の分身<ドッペル>(アバターのようなホログラム映像)を使って場所と時間を問わずに生活できる。
物質に頼っていた前時代のライフスタイルは絶え、超個人主義社会が形成されている。

そんな世界にあって、主人公の少年クレインはドッペルを持たずに生身の身体で生活している。
旧時代のガラクタ同然の機械に憧れ、それらヴィンテージをいじるのが好きという珍しい趣味の男の子なのだ。

ある日、彼が海岸沿いを自転車で走っていると、飛空挺に追われる一人の少女と出会う。
彼女の名はフリュネ。フラクタルシステムを司る<僧院>の巫女フリュネを助けたクレインは一目で恋に落ちる。
だが、フリュネはクレインの前から姿を消す。

そしてフリュネの残していったブローチからは、もう一人のヒロイン、精巧なドッペルの女の子ネッサが現れる。
クレインはネッサやレジスタンスと共に、フリュネとフラクタルシステムを巡る戦いに巻き込まれていく……。

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うーん、2週かけて一気に全11話を見たけど、正直なんの感動もなかった…。
この作品は何を言いたかったのか、何を描きたかったのか。
ただただ物語の展開を「ふーんそうなんだ」と淡々と受け止めただけ。

「これはすごい!」と思える要素もほとんどなかった。
ジブリアニメとナディアと世界名作劇場を足して割ったような雰囲気は、空から少女が降ってくるなど、第1話から既視感に溢れていた。(空から女の子が降ってくるアニメは名作のはずなのに…)

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一方で、物語の3話からは、唐突に陰惨な内容も含むようになってくる。
僧院VSレジスタンスの、民間人を巻き込んだ銃撃戦。
そして終盤では、フリュネの身体に刻まれた肉体的・精神的な傷痕の秘密が明かされる。

クレインやネッサ、レジスタンスのグラニッツ一家が織りなす日常的なほのぼした光景も描かれながら、暗く陰鬱に落とす所はけっこう深刻な内容をあっさりと表現している。
それはある意味で現実の厳しさを、生きることの冷酷さを表わしているとも言えるけど、それにしてもその展開は必要?…と疑問に思ってしまう。(似たようなことは監督が後に手がけた某アイドルアニメでも少しだけ思った。この監督の個性なのかもしれない)

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最終的に主人公は、フリュネとネッサを奪おうとするフラクタルシステムに抗うことになる。
一緒に行動するグラニッツ一家が参加する抵抗勢力<ロストミレニアム>の目的は、フラクタルシステムを破壊しシステム以前の自然なライフスタイルを取り戻すこと。
そして僧院の目的は、鍵となるフリュネとネッサを取り戻し、崩壊しつつあるフラクタルシステムを再起動することである。

僧院に囚われてしまったフリュネをクレインとネッサが助けに行くのは自然な流れだけど、そこに違和感を感じた。
違和感というか、「あーそっちには行くな行くな」という感じ。
クレインたち3人にとっては何より「逃げる」ことが一番安全なのだが、待ち構えている敵の前に何故か自ら進んでいってしまう。

そして、あの決着。そりゃそうだよな、という感じ。
最初から勝ち目のない闘いに、勝算もなく突き進んでいく。
たった一つの小さな希望(それ自体も根拠が怪しい)も打ち砕かれたフリュネは、哀しい宿命を受け入れてしまう。
この作品は敗北へと向かっていく物語だと思う。

運命を受け入れることも、敗北を認めて諦観することも、それ自体がダメなわけではないと思う。
ただ、この作品は、なぜフリュネがそれを選んだか、クレインがどうやって納得して歩んでいったかが充分に説明されていないように思う。
だから、フリュネの行動が自分勝手で時になげやりに見えるし、クレインは自分の意志を持たない傍観者に見えた。
そしてこの物語が結局何を伝えたかったのかさえ、分からないまま終わってしまった。



■フラクタルとはなんだったのか

説明不足というのは、登場人物たちの感情だけではなく、物語の設定についても言える。
フラクタルという名のシステムによって安寧が約束された世界。
人類の叡智がついに到達した理想郷で、それは人間生活の在り方すらも変えてしまうほどだった。

しかし劇中で語られるのは、ドッペルを含む拡張現実と、人々が空中に浮かぶ<星>によって体内のフラクタルターミナルを定期的にアップデートしているということだけで、フラクタルがその技術をどう維持しているのか語られないし、ドッペル使用中の人間はどういう状態なのかも全話を通してワンカットしか描かれない。

まして、そのシステムを再起動するために必要なのが選ばれし少女の肉体と魂なのだから、フラクタルシステムは科学技術というよりも魔法の類だ。
「充分に発達した科学は魔法と見分けがつかない」というが、この作品の場合は何一つ根拠を示さないので「本当は何も考えてないんじゃ…」という疑念が頭をよぎってしまう。
(ちなみに同時期に放送された「まどマギ」は、少女の魂が必要とされる納得できる理由を示していた。あちらはファンタジーなのに…)

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主人公クレインの立ち位置もまた微妙だ。
拡張現実が溢れる世界において、その恩恵を自ら望んで受けていない子供なのだ。
しかも早々にシステムを否定し前時代の生活を取り戻そうとするレジスタンスと合流してしまう。
だから、クレインを通してフラクタル社会がどのようなものかを知ることもできない。

そもそも「フラクタル」というタイトルの意味すら回収してない。
全体の構造と部分の構造が同じ、もしくは似通っている、それをフラクタル構造と呼ぶ。
全体としての複雑さが、細部を拡大しても同じように複雑な状態のことらしい。

これを物語の構成や世界観に当てはめたらどうなっていただろうか。
ストーリー原案として参加した東浩紀は哲学者でもあることだし、このフラクタルという概念を持ち出したのには何か理由があったはずだ。
しかし、結局は何をやりたかったのか、伝えたかったのかは不明なまま終わってしまった。
このアニメのどこにもフラクタルという概念を象徴するものは見当たらない。



■絶望の中の癒しと飽きない興奮

長文でひたすらこき下ろしたようになってしまったので、ここで評価できる点を挙げておこうと思う。
評価できる点は大きく二つ。花澤香菜演じるネッサがよかったのと、オープニング映像と主題歌がよかったことだ。

ネッサは、10歳という設定のドッペルで、データに過ぎない存在だ。
しかし、天真爛漫な性格や「ネッサは好きのことが好き!」など幼さの残る言動が物語の癒しとなっていた。(終盤はその癒しを上回る絶望っぷりだったが…)

さらにそこに声優・花澤香菜の声が入ることでさらに存在感を増したと思う。
私はざーさんのファンというわけではないが、ネッサの中の人が花澤さんでよかったと思う。

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オープニング映像は、幾何学な模様が七色に輝きながら変幻自在に動く、万華鏡のような映像。
キャラクターは一切登場せず、アニメのOP映像にありがちな安易なキャラ紹介に走らないで面白いと思う。
最後だけ、ネッサのシルエットの集合からより大きなネッサのシルエットにズームアウトする演出があるが、これが唯一フラクタル構造を語った部分だと思う。

そんなOP映像にのせて流れるのは、AZUMA HITOMIの「ハリネズミ」という歌。
背中の針で傷つけあいながらも求めあってしまう不器用さを、エレクトリックなアレンジでアップテンポに歌い上げた曲で、AZUMA HITOMIの落ち着いた声がノスタルジーを彷彿させる。

この曲と映像のインパクトは大きく、視聴していてOPだけは毎回テンションが高かった。
不思議なことに、キャラが一切登場せずともまったく飽きずに最後まで見た。
(ところでOP絵コンテってこの場合どうやって描くんだろうか…)



まあ、いくらOPが神曲でも、本編がイマイチならば作品の総評もイマイチにならざるをえない。
やはり、上で散々書いたように、この作品はどこかちぐはぐな内容のアニメだった。

山本寛監督はこの作品を「ディスコミュニケーションの羅列。それが自分にとっての、アニメに携った十数年のリアリティだった」と語っている。
つまりアニメの現場で感じた理不尽な、噛み合わない思いの数々を、この作品で表現したかった、という意味だと思うが、結果的に作品と視聴者の間でディスコミュニケーションが発生してしまったのかもしれない。



この作品が終盤を迎える頃、東日本大震災が起こった。
同時期に放送されたまどマギなどは最終回を延期する措置がとられた。
このフラクタルがどうだったかは分からない。当時はリアルタイムでアニメを追っていなかった。

ヤマカンこと山本寛監督は、被災地でボランティア活動を経験したという。
そして、それによってもう一度アニメを作りたいという思いに至ったそうだ。
そうやって作り出された作品(Wake Up, Girls!)には、絶望に負けずに立ち上がれ!という思いが込められている。

本当の絶望を知ったからこそ希望を描けるのかもしれない。
「フラクタル」は、絶望の退廃的な美しさに毒された、ひとりよがりの作品だったかもしれないが、WUG!はその絶望を乗り越えた希望の物語だと言えるだろう。
なんだかんだで、この山本寛というアニメ監督のことは嫌いになれないのである。

【映画】プリデスティネーション



プリデスティネーション(2014年、オーストラリア)

【監督】
ピーター・スピエリッグ
マイケル・スピエリッグ
【キャスト】
イーサン・ホーク
サラ・スヌーク
ノア・テイラー

感想(2015年3月1日、MOVIX利府にて鑑賞)

すごいSF映画。すごい。なんかすごい。

原作はロバート・A・ハインラインの「輪廻の蛇」という短編。
タイムパラドックスを描いた物語で、勘のいい人なら本の題を聞いただけでどんな話か予想がついちゃうかもしれない。
私は原作は読んでないので内容の比較まではできなかった。

映画の内容はまさかまさかの展開で、ヘタに解説しようものならネタバレで魅力を損なってしまう感じ。
(観た人はみんな「何を言ってもネタバレになる」と言ってるぽいw)
私自身、予告編を見ずにあらすじだけ読んで観に行って衝撃を受けたので、これから観られる方はできるだけ情報を仕入れずに観に行って奇想天外な物語に驚いてきてほしい。

ただし一言だけ書かせてもらうと、ポスターなどから受ける「SFアクション」ぽい印象は忘れてしまった方がいいと思う。
アクション要素は皆無で、青緑のクールな蛍光色の世界観もない。
なんでこんなポスターになってしまっているのかちょっと謎(笑)



で、今回の感想はここまでとしたい。
本当にネタバレせずに魅力を語ることができそうにないので…。

だから近いうちにネタバレ全開の感想を書こうと思う。
まだ観てない人はうっかり読まないように気をつけてください(笑)

【アニメ映画】花とアリス殺人事件



花とアリス殺人事件(2015年、日本)

【監督】
岩井俊二
【キャスト】
蒼井優
鈴木杏
勝地涼
黒木華
木村多江
平泉成
相田翔子
鈴木蘭々
郭智博
キムラ緑子

感想(2015年3月1日、MOVIX利府にて鑑賞)

実写映画「花とアリス」の岩井俊二監督が、2人の主人公の出会いの物語をアニメーションで描いた作品。
前作「花とアリス」に出演した蒼井優、鈴木杏、相田翔子、平泉成らが、前作と同じ役で声優に挑戦している。

録音はプレスコという、声を先に録る方式で行われたらしい。
役者の自然な演技、掛け合いとか間とかがそのまま活かされているように思った。
美しい背景も見もので、これは写真撮影担当のスタッフが撮った写真からおこしたもののよう。



一方で、キャラクターの挙動には何かぎこちなさを感じてしまった。
中割り…というのだろうか、ポーズAからBに移るまでの身体の動きを描いたカット数がそれほど多くないのかもしれない。
劇場版アニメだからといって滑らかな動きを期待すると「おやっ?」となる。

動き自体はリアルな動作をトレースしたようなものになっていて、アニメ的な記号化された動きにはなっていない。
蒼井優、鈴木杏の自然体の演技もあいまって、まったく一人の人間として認知できるくらい自然だ。
現実感、あるいは「実写感」があると言ってもいいと思う。二次元であるにもかかわらず…!

逆に、その自然さが、動きのぎこちなさを際立たせるのかもしれない。
リアルであるがゆえに、逆にヴァーチャルであることがバレてしまうのだ。
ブッとんだことを言えば、アニメーションでさえなければ、これはもう実写映画なのだ。(意味不)



内容に目を移すと、これはもう「花とアリス」のあの空気感の完全再現と言って差し支えないだろう。
あの映画を見て感じたものが、あの映画と違う描写もしながらもこの映画にある。

続編とか前日譚とかそういう言葉でレッテルを貼るのが惜しいくらい「花とアリス」そのものだと思った。
むしろ「花とアリス」以上に「花とアリス」かもしれない。(またもや意味不)

とにかく「花とアリス」を見て好感持った人なら、普段アニメ見ない人でもまったく気兼ねせずに勧められる出来。
そして、普段アニメ見る私は、このアニメーションを毎週テレビで見られないかな…とか思った。
10分アニメでいいからシリーズ化しないかなあ(´・ω・`)
それだけのポテンシャルは余裕で持ってる作品だった。

【アニメ】艦隊これくしょん -艦これ- 第10話

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艦隊これくしょん -艦これ-
第10話「頑張っていきましょー!」

感想

ゆけち、泣きながら鑑賞。



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・改になる(パワーアップする)ためトレーニングに励む吹雪。
・改二になった夕立に取材しまくる。
・夕立改二に張り合う自称レディー暁カワイイ。

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敵の拠点を探り当てるため強行偵察に出る三水戦。
…三水戦!?シリーズ前半で感動的な解散をした第三水雷戦隊が再び結集!(誰もそのことに触れず!)

提督が行方不明となったので、提督の判断で再編成された第五遊撃部隊その他を一度白紙に戻したということか、それとも偵察任務なので空母・戦艦などを含まない編成にした結果、軽巡・駆逐中心の編成になったということか…。

まあどっちでもいいか…。とにかく懐かしい三水戦。
敵偵察機に「撮影は事務所を通さないとダメー!」などと言い放つ那珂ちゃんとか相変わらずだ(笑)

敵艦を撃破して経験値を稼ぎたい吹雪は単独で前に出てしまう。
ゲーム準拠なら撃破だけでは駄目で、MVPを取らなければ一番経験値入って来ないはず…。
逆にMVPがムリなら活躍しようがしまいがレベリングに影響はない。

でも、見る限り撃破数に応じて改装に近づくような描写だった。
以前からゲームの事情がポッと入ってくるアニメだが、ゲーム的だけど原作ゲームとは相違する描写もけっこうある。
物語を面白くするためにわざとやってるんだと思う。

改になることしか頭にない吹雪は、案の定被弾して中・大破。
ちょっと突っ走りすぎでヒヤヒヤする。



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入渠した吹雪に服が濡れるのもかまわず抱きつく睦月。
これを見てレズとか百合とかしか言えない大人にはなるな。(←何様w)
大井・北上コンビと一緒にしてはいけない。

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あ~…泣かせちゃった…。
睦月にとって3話の悲劇(まだネタバレに配慮してる私)はやはりトラウマになっている模様。
本人もそのことを口に出し、吹雪の無茶を咎めた。

一応これで、3話の悲劇に物語として必然性があったことになるのかな。
艦娘である以上、命のやりとりは絶対にある。
でも一時の衝動で命を投げ出してしまってはいけない。轟沈したらもう何もかも終わりなのだから。



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それに対する吹雪の回答は…。やはりこの子は頑固だ…。
自分がムリして頑張る理由を語る吹雪。
それは提督から聞かされたある「夢」の話だった。

今回ばかりはさすがに提督の能力を疑う…。
夢に出てきたからって…。
しかもケッコンカッコカリって…。
東京の夜景とか…もうわけがわからないよ…。

なんかそんなスピリチュアルな理由で戦略を決定していいんだろうか、いいやよくない。
というか、ケッコンカッコカリのシステムはゲームの中心的なものじゃないからスルーしてもいいのに…。
そんなことより、吹雪がとにかく「頑張り屋さん」ってことだけで充分理由になると思うんだけど。(そうだ、そういうことにしとこう)

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で、また吹雪と睦月が小指を絡ませるカットでレズだの百合だの言ってはいけない。
吹雪の言うことも理解したけど、それでも遠くに行ってしまいそうな吹雪を引き止めたくてしょうがない…。
そんな思いが小指を絡ませるという行為になって現れたのだと解釈。



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吹雪はついに赤城の護衛艦に…。
しかしその前に加賀・赤城による厳しいテスト(特訓)が行われる。
倒れても倒れても立ち上がる、スポ根全開のシーン。
いつもは優しい赤城も容赦無く吹雪に演習機を浴びせかける。

しかし、赤城は言う。誰よりも努力してきたあなたなら、きっと乗り越えられるはず、だから、立ちなさい、と…。
赤城が吹雪を信頼していることが分かる良いセリフだった。
吹雪の能力を認めているのではなく、吹雪がこれから先、さらなる飛躍を遂げることを、そのための努力を惜しまない艦娘であることを、赤城は信じているのだろう。

「頑張っていきましょー!」
どうやら睦月も、吹雪が必ず戻って来ると信じることにしたようだ。
信じて帰りを待つこともとても大変なことなんだ…。

そして「いつか赤城さんと同じ艦隊になれたらなあ…」と夢見ていた吹雪は、ついに自分の力でその居場所を手にしたことになる…。
テスト合格の直後、吹雪の体が輝きはじめる…!
あっ、見たことあること演出ッ!

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無事に改(改二?)に改装された吹雪。
(でもやっぱり改装中の変身シーンはないのか…)

艤装が変わった以外は特に変化なし。
だけど少し胸もほしかった、だって女の子だもん…(笑)

服や瞳の色に変化がないので吹雪改だとか、艤装は新装備だから吹雪改二だとか、間を取って吹雪改1.5だとか、いろいろな意見が飛び交ってるみたいだけど、これも前述の物語を面白くするための演出だったのかもしれない。
装備以外は変わってねえじゃん、というツッコミを想定してわざとそうしたか…。
あるいは、脇役(夕立)はともかく、主人公の姿を変えてしまうのは、TVアニメ的にタブーだったりするのかな。

とにかくこれで改になるというノルマも達成し、めでたく赤城の護衛艦になった吹雪。
次回は最終回の直前回。ついに最終決戦に向けて出発…ッ!



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ノルマといえば、この2人も毎回のノルマをキチンと達成。
大井のキレ具合に磨きがかかってきたようで嬉しい。
本当に愛されてるな、この2人は…。

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それから、この2人も今回ちょっと良いエピソードが…。
エピソードといってもとても短いやりとりだったけど。

陸奥が、「長門を秘書艦として奪われた」みたいなカワイイ愚痴をちょろっと言いましたね。
陸奥も、大井・北上や金剛姉妹、赤城・加賀、高雄・愛宕などのように、好きな子(長門)と毎日気楽に一緒にいたいんだろう。

でも、長門は秘書艦。提督の右腕であり、提督がいない今は司令代行として今まで以上の重責を背負わされている。
そんな長門の状況を理解しているし、自分も精一杯支えていきたいけれど、でもやはり一人の女の子として、大好きな長門と笑い合って過ごせたら…という願望はあるんだろうな、と思った。

言葉の端々にいろんな感情が見え隠れしている。
次回も楽しみ。

【音楽】四月は君の嘘 僕と君との音楽帳

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四月は君の嘘 僕と君との音楽帳

篠原悠那、阪田知樹、河地恵理子
Epic Records Japan, 2014

曲目

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第14番<月光>第3楽章
ベートーベン:ヴァイオリン・ソナタ第9番<クロイツェル>第1楽章
サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ
ショパン:エチュード?嬰ハ短調 作品10-4
ショパン:エチュード イ短調 作品25-11<木枯らしのエチュード>
ショパン:エチュード ホ短調 作品25-5
クライスラー:愛の悲しみ
クライスラー/ラフマニノフ編:愛の悲しみ(ピアノ独奏版)
スクリャービン:エチュード 嬰ニ短調 作品8-12
ドビュッシー:月の光
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
チャイコフスキー:“眠りの森の美女”より「ワルツ」(ピアノ連弾版)
ショパン:エチュード ハ短調 作品10-12<革命のエチュード>
ショパン:バラード第1番 ト短調 作品23

感想

私だってたまにはクラシック聴きますよ!
(突然の主張)

まあ、クラシックを題材にしたアニメでも見なけりゃ本当に滅多に聴かないけど…。
現在TVアニメが放送中(というかもう次回は最終回)の「四月は君の嘘」の音楽集。
半額でレンタルできたのでいろいろ借りてきた中の一枚だ。

主人公たちが作中で演奏したクラシック曲が収められたアルバムで、劇伴ではないのでサントラとは違う。
収められているのはベートーベンやショパンやクライスラーなど、偉大な音楽家たちが残した曲たち。
だいたい作中に登場した順に並んでいるようなので、物語を演奏の面から追体験できる内容になっている。

作中では「コンクール」での演奏が主に描かれる。
そのため登場する楽曲もエチュード(練習曲)などがけっこう多い。
技巧を高める、あるいは試すために作られた曲が登場する点が、音楽を題材にした他の作品と違う所か。

もちろん練習曲だからといって芸術性に欠けるなんてことはまったくない。
一曲一曲に感情があり、ドラマがある。
むしろ、技巧が求められる曲ということで、よく知られるクラシックに比べて非常に挑戦的な響きにも聴こえる。

私はクラシックはほとんど分からないので何を聴いてもけっこう新鮮なんだが、プロの音楽家を目指す若者たちが触れている音楽は、オーケストラの優雅な響きとは違った面白さがある。
アニメではモノローグやセリフが同時に入ってしまう楽曲を聴き込むこともできた。

ただ、アニメの方はもう次回が最終回。最後の曲、ショパンのバラードも出てしまった。
楽曲を知ってると知ってないとでは感動の大きさも違かっただろうから、もっと早くに聴いておきたい一枚だった。
最終回では何の曲が演奏されるのだろうか…?

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