プルーフ・オブ・マイ・ライフ

偉大な数学者だが晩年は精神を病んでいた父親。
そんな父親を、数学者としての道を半ば諦めてまで献身的に支えてきた娘。
父親がいなくなってポッカリと心に穴の空いた娘は、自分自身も父に似て「正気ではない」ことに気づく。
そんな時に現れる駆け出し数学者の青年は、父の書斎の膨大なノートの中からある重大な証明を見つけ出す。





※以下、結末についてネタバレしていますので、未見の方は閲覧注意です。





父と娘の話であり、男女の信頼の話でもあり、姉妹の話でもあり。
シカゴVSニューヨークの話でもあったかもしれない。

物語としては、果たしてその証明は誰のものなのか?という謎がクライマックスへの牽引力だが、それは本当に最後まで分からない作りになっており、つまり鑑賞者は恋人や姉と一緒になって主人公である妹を疑う羽目になってしまう。
このヒロインは本当のことを言っているのか、それとも正気ではないのか。
というか、ある面では確かに正気じゃない。父親の幻を夜中に見たりとか冒頭から普通じゃない。

そもそもヒロインは少し説明の仕方が下手すぎないか?
疑われてカッとなって「なぜ信じてくれないの」となるのは分かるが、その時点で「本当か嘘か」という事よりも「信じるか否か」という論点にすり替わってしまうのが欧米っぽい。
「信じてもらえなかった」ことに腹を立てる。辻褄の合う説明をすれば信じてもらえるのに信じてもらえなかった時点でシャットアウト。
(ヒステリックな女性を見るのはつらいけど、あのお姉ちゃんにイラッとくるのはわかる)

で、散々関係を拗らせて、最後にはヒロインの証明だったということが鑑賞者にも明かされるのだが、そこまでに鑑賞者自身もけっこう疑いの目でヒロインを見てしまっており(少なくとも私はそう)、あーやっぱりヒロインが書いたのね、ごめんねー疑って…と思うのだが、残念ながら私はジェイク・ギレンホールじゃないのでヒロインからは許してもらえない(笑)

勝手に疑って勝手に罪悪感を抱く。実際罪悪感はゼロなんだが。
結末を手放しで喜べない話の運び方ではあった。
これで感動してしまったら中盤ヒロインに向けた疑いの目はどうするの、という感じ。

そして物語も人生の皮肉とか人間の弱さとかそういう所には着地せず、いろいろあった男女の新たなスタートみたいな感じで幕を閉じるから、余計に突き放されるというか。
本当に、ヒロインに許されたのはあの男だけで、鑑賞者はもう結末には部外者にならざるをえない。(まあたしかに部外者だけど)

役者と鑑賞者でよってたかってグウィネス・パルトロウを疑って、最後にジェイク・ギレンホールだけが許される映画だった。



プルーフ・オブ・マイ・ライフ
(2005年/アメリカ)
【監督】
ジョン・マッデン
【キャスト】
グウィネス・パルトロウ
ジェイク・ギレンホール
アンソニー・ホプキンス
ホープ・デイヴィス