ラスト・ナイツ

ラスト・ナイツ
(2015年/アメリカ)
【監督】
紀里谷和明
【キャスト】
クライヴ・オーウェン
モーガン・フリーマン
クリフ・カーティス
アクセル・ヘニー
ペイマン・モアディ
アイェレット・ゾラー
ショーレ・アグダシュルー
伊原剛志
アン・ソンギ

*感想

「CASSHERN」「GOEMON」の紀里谷監督のハリウッド進出作。
クライヴ・オーウェンとモーガン・フリーマンを主演に、「忠臣蔵」をベースにした架空の国での騎士道が描かれる。

政治の腐敗が進む帝国。古い騎士道を重んじ代々の領地を治めてきたバルトーク卿は、私腹を肥やす大臣ギザ・モットの企みによって都に呼び出される。
悪習となっていたギザ・モットへの賄賂を拒否したバルトークは、ギザ・モットの怒りを買い、反逆罪として死罪になってしまう。
その斬首の場には、バルトークに見出されたことで堕落した生活を抜け出し騎士団の隊長となったライデンがいた。

バルトークの領地は没収され、家名は断絶した。
仕えるべき主君を失った騎士たちは、無念の思いで復讐の時を待ち続けた。
1年後、身分を偽って都に潜入した騎士たちは、ギザ・モットに報復するための準備を着々と進めていた。
しかし、隊長のライデンだけは酒浸りの毎日を過ごし、以前の堕落した生活に戻ってしまっていた。



日本人なら誰もが知る「忠臣蔵」の物語。そこで描かれた「武士道」を、同じにおいを感じる西洋の「騎士道」に置き換えて作られたのがこの「ラスト・ナイツ」だ。
内容は原案にとても忠実。かつ丁寧な印象がある。渋くてかっこいいと言えば確かにそうだが、個人的には地味な印象を持った。

私は紀里谷作品といえば「GOEMON」しか出てこない人で、派手なCGがない本作は少し拍子抜けだった。
まあ、予告編もチェックせずに観に行った私が悪いのだが、もう少しCGモリモリで奇抜な世界観だと勝手に予想していた。
でも、実際観てみると、お正月の時代劇特番で流しても違和感ないほど、マジメで堅い作風で「忠臣蔵」をやっていて、逆に本当に紀里谷和明が撮ったのかという疑問が湧いてくるほどだった。

そもそも紀里谷監督のことを何も知らないんだけど、キリキリらしさってなんなんだろうと思ってしまう。(監督は銀座のクラブでは「キリキリ」で通っているらしい)
ここまで真っ当な時代劇をやられてしまうと、同じく「忠臣蔵」を原案にしながらイマジネーションが膨らみ過ぎでむしろ原型を留めてなかったハリウッド映画「47RONIN」のことが対照的に思い出される。

原案どおりならば、戦闘シーンは終盤の討ち入りに限られる。
「ラスト・ナイツ」ではその点、冒頭に山賊を返り討ちにする騎士団を描いて、戦闘シーンを2つに増やしている。
ただ、娯楽性を求めるならば、中盤にもう一つ殺陣を入れなければならなかったと思う。
それがなかったことで、この作品は「地味」になってしまったし、テンポが悪くなってしまってやや退屈に感じられてしまうのだ。(しかも大体の筋書きはわかっているわけで)

その点「47RONIN」は、クリーチャーとの戦い、秘境でのアドベンチャーと、最高に娯楽映画していた。
娯楽映画しすぎて「これはもう忠臣蔵じゃない」ところまでいってしまっていた。
この作品もやはり映画館に観に行って、当時はこき下ろした記憶があるけど、娯楽性という点では「ラスト・ナイツ」に勝っている。少なくとも両作品は同じ題材ながら手法が対極にある映画だと思う。

LastKnights

本作のマジメさ・堅さに拍車をかけているのが、渋いキャスティングかもしれない。
浅野内匠頭の役にモーガン・フリーマン、大石内蔵助の役にクライヴ・オーウェン。
さらにクライヴ・オーウェンの下に副官の役でクリフ・カーティスという男臭い布陣。
特にクリフ・カーティスはもともと気になる顔だったけど本作で愛着をもってしまった感がある。

俳優たちの演技はさすがの一言に尽きる。重い話をさらに沈み込ませている。
そういう所をとっても、やはりこの映画はアクションを見る作品ではなくて、ドラマを見る作品なんだろうなと思った。





*以下で、重大なネタバレをしていますので未見の方は閲覧しないように!





ラストのラスト、本当に最後のカットで、ライデンが閉じていた両目を見開くという演出がある。
私は最後の最後でかっこつけた無意味な演出のように思ったが、他の人のレビューを拝見しているとあの演出に意味を見出している人もわずかだがいるようだ。
つまり、あれはライデンの生きようとする意志の現れで、「ライデン(と仲間たち)はあのあと生き延びたのではないか」という解釈だ。

映画を見た人がそれぞれどう解釈しようと自由だし、尊重されるべきだと思うけど、私はさすがにその解釈は勘違いではないかと思う。
あの演出にはそこまでの意味は込められてないのではないか。

そう思う理由として、まずライデンの本懐は遂げられていることが挙げられる。
ライデンたちが恨んでいたのはギザ・モット大臣のみで、標的もギザ・モットだけだ。
彼らは理不尽な処罰に憤りながらも、帝国の転覆や皇帝の暗殺までをも狙っていたわけではない。

次に、ライデンは一人処刑場へ向かう前に妻と今生の別れをしてきている。
そして部下たちと向かう途中では、副官に後事を託している。
彼らは全員が処刑される覚悟をして事に及んだ。だが、その罪がライデン一人の命で贖えることとなり、ライデンは命を皇帝の前に差し出すのだ。

そこで、一部の解釈のように「やっぱり生きる!」となって再び反逆したのでは元も子もない。
彼らを英雄たらしめている騎士の忠誠は地に落ち、今度こそ彼ら全員が処刑されることになるだろう。
そんなことはライデンは百も承知のはずだ。あの場からライデンが逃げ出すなどという解釈は私にはできない。

だから、あの最後の演出にはあまり意味はないと思うのだ。
ただそのまま終わるよりも目をパッと開いた方がかっこいいからそうしただけにすぎない。
なんにせよ、誤解を招くようなややこしい演出をしてくれたなーと思う。