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キングスマン
(2014年/イギリス)
【監督】
マシュー・ヴォーン
【キャスト】
コリン・ファース
タロン・エガートン
マイケル・ケイン
サミュエル・L・ジャクソン
ソフィア・ブテラ
マーク・ストロング
ソフィー・クックソン

*感想

「キック・アス」「X-MEN: ファースト・ジェネレーション」などのマシュー・ヴォーン監督によるアクション・スパイ・コメディ。
「英国王のスピーチ」などの名優コリン・ファースがブリティッシュ・スーツに身を包み、紳士とは何かを説きながらマシンガン内蔵の防弾アンブレラを武器に暴れ倒すという、ブッ飛んだ内容の映画。

ロンドン、サヴィル・ロウの高級紳士服店が実は正義の独立諜報組織の支部という面白い設定。
見るからに英国紳士という出で立ちのミドル、ハリーが、様々な仕掛けの施された紳士用ガジェットを駆使し、野蛮とも言えるやり方で悪を屠っていく。

死んだ「キングスマン」メンバーの代わりとして、不良青年エグジ―は新たなキングスマンの選考試験に臨むことに。
ハリーから紳士の何たるかを教えこまれながら成長していく姿も描かれる。



面白い作品だけど不思議とノレなかった映画だ。面白いんだけどね。
アプローチの仕方が予想と違っていて修正できなかったせいかもしれない。

観る前は、シリアスに紳士道やスパイを描きつつもブッ飛んだ内容なのかと思っていたら、実際は、スパイ・コメディとして「紳士」をネタにしていた感じだった。
コリン・ファースが平然と暴れている姿を見て、「男の野蛮な本性を隠すために紳士という作法が生まれたのではないか…?」などと考えてみてもまったくそういう考察が報われない映画だった(笑)

ただ、全編に渡ってブッ飛んでいるのかといえば、おシリアスな所はおシリアス。
こんなどうにでもなりそうな映画で、どうにもならないことはどうにもならなかったりする。
その辺が少し合わなかった。物語に文句言っても仕方ない気がするけど。

ただ、アクションの痛快さ、スローモーションを効果的に使ったライド感は良い。
悪ふざけがすぎたような花火大会もノレていたなら最高に面白かったと思う。
まるで生まれた時から紳士やってるようなコリン・ファースのハマりっぷり。
エグジ―のパルクールもほんの少しだけだが良かったし、敵の殺し屋秘書の存在感も素晴らしい。

それだけになんか惜しい気がしてしまった…。





*以下、ネタバレしつつノレなかった理由ですので二つの意味で閲覧注意。





ポスターがけっこう詐欺。コリン・ファースがセンターに写っているが、彼は主要キャラで一番最初に退場してしまう。
そこからエグジ―に引き継がれるわけだが、ハリーの退場がかなりあっさりしていたために再登場を期待し続けてしまった。
終盤でエグジ―がピンチになると「くるぞ!ハリーくるぞ!」と身構えたがハリーは来ず…。これはガッカリだった。

キングスマン選考試験の最中にも死者が出たり、相棒の犬を殺せと命令される最終試験があったりするのだが、どちらも「実は死んでない」ということがハリーの口から語られる。
にも関わらず、一番死んでほしくないハリーの死は取り返しのつかない悲劇なのだ。ああ理不尽だ…。
スパイ・コメディであってファンタジーではないから、さすがに脳天撃たれたら死ぬに決まっているのだが、どこかこの映画はそれすら覆しそうな、ちゃぶ台をひっくり返してくれそうな、そんな雰囲気を持っている。
そこに最後まですがってしまったから、クライマックスに至って「もうハリー出てくる余地無いな」と気づいた瞬間少し冷めてしまった。

ハリーのキャラクターが素晴らしすぎるというのもある。
彼の教え子エグジ―が終盤大活躍するのだが、ハリーを彷彿とさせるべきその場面でやはりどうしてもハリーとは別物、ハリーのコスプレに見えてしまう。
ヤンチャなお兄ちゃんのままなのだエグジ―。紳士服を身にまとっても野蛮さを隠しきれていない。
「紳士」としてもっと内面的な成長を見せてほしかった気がするのだが…。

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それから、どうしても分からないのは、終盤の大パニックの描写。
サミュL演じるふざけたIT富豪の策略によって凶暴化してお互いに殺しあう民衆が描かれる。
これは笑うべきシーンなのか、どうなのか。

作品のテンションからいえば、ブラックユーモアで、呆れつつ笑っていいんだと思う。
スタジアムで、ビーチで、音楽が鳴り出すと暴れ出し、曲が止まると呆然と立ち尽くし、また鳴り出すと殴り合いを再開する人々。

ただ、その描写の中でエグジ―の母親がまだ幼い我が子を殺そうとトイレのドアを破るカットがある。
これは笑えない、笑えないよマシュー・ヴォーン!
ブラックユーモアとして描くのならあのシーンでエグジ―の母親を出すべきではなかったと思う。
ハラハラを演出するために恐怖のタイムリミットを設けたのかもしれないが、その恐怖が深刻すぎて笑えない。

そもそも人間が真っ二つにされたり、教会で人々を皆殺しにしたり、主役があっさり退場したりとなかなかにエグい内容なのだ。
手首を切断されたりとか、リアリティある映画なら観客は「凄い!」よりも「痛そう!」と顔をしかめるはずだ。
それが許されるのはブラックユーモアだからだ。いかにもこれはフィクションですよー、コミックですよー、という雰囲気を醸し出しているからこそ受け入れてもらえる。
例えば本格社会派サスペンスや今の007シリーズなどで今作の花火をやったら、すっげー怒られるに決まってる。

だから、IT富豪のふざけ具合にも陳腐な野望にも文句は言わない。
ただフィクションをフィクションであることを盾にしてやりきってほしかったと思う。
時々垣間見える現実感など、この映画には不要だったのではないだろうか。