オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分
(2013年/イギリス)

【監督】
スティーヴン・ナイト
【キャスト】
トム・ハーディ
ルース・ウィルソン
オリヴィア・コールマン
アンドリュー・スコット
ベン・ダニエルズ

*感想

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のトム・ハーディ主演の映画。
上映時間の86分のほぼすべて、車を走らせる主人公の姿のみが映し出されるというワンシチュエーション・ドラマ。

物語は、建設現場で仕事を終えた主人公アイヴァン・ロックが、愛車に乗り込み帰路に着くところから始まる。
乗っている車は車内通話が備え付けてある高級感のあるSUV(BMW・X5シリーズらしい)で、彼がただの現場作業員ではないことを伺わせる。

しばらくしてアイヴァンは電話で色々な人物と話し出す。
その内容から少しずつ、彼が置かれた状況、彼の目的地などが明らかになっていく。





*以下、ネタバレを含みますので未見の方は閲覧注意。





トム・ハーディの一人芝居のような映画だが、電話の相手を演じた役者たちも素晴らしい演技で、電話の向こうの人物の顔もなんだか想像できてしまうのが凄い。
いや、顔だけでなく、彼らのいる場所までも目に浮かぶ。
建設現場の脇に建てられた事務所、コンクリートを流し込む作業機械、病院の分娩室は窓が開いており、灯りを消した暗い寝室では女性がベッドにへたり込んで泣いている…。
ここまで想像できるのはたぶん絶妙な脚本の成せる業で、こうなってくると最早トムハしか映ってないとは言い切れない気もしてくる。

そんな優れた脚本と確かな演技によって支えられているこの物語は、窮地に追い込まれた主人公の運命の一夜を描いている。
絶体絶命のピンチを脱するために、主人公は車を走らせながら妻や上司・部下たちと電話で「交渉」していく。(ハンズフリーなので危険な運転にはあたらないのでご安心を)

私は、あらすじや予告編などから「勝ち組の男が破滅する物語」を期待していたのだが、実際観てみるとそれは少し違った。
確かに主人公は自ら犯した過ちによって家族を失い、職務を放棄することによって仕事までも失ってしまう。
しかし、自分の信条だけは最後まで捨てずに貫き通すのだ。その姿は敗北の決まった戦場で撤退戦を指揮する敗軍の将のようであった。
完全勝利など最初からムリと分かっていて、それでも妻には真実を告げねばならず、翌朝のプロジェクトも自分のせいで失敗させるわけにはいかない。

おそらく彼は本当に家族思いで仕事熱心で誠実な人間なのだろう。
彼のコンプレックスはろくでなしだった父親であり、自分はああはなるまいという思いが彼を一流企業の現場責任者の地位まで押し上げたのだと思う。
日頃から勤勉で、だからこそプライベートに突然電話を受けた役人も相手がアイヴァンだと分かると便宜を図ってくれた。

そして今は、一時の気の迷いから誕生する私生児の父親としての責任を果たすために、愛してもいない女の下へと向かっている。
アイヴァンが犯した間違いは人生でたった一つだ。
だがその過ちとしっかり向き合うために、愛する家族ややっと手にした地位を犠牲にすることも厭わずにハイウェイをひた走る。


見れば見るほど、アイヴァンという男の善良な性格が分かってくるようだった。
そして、敗軍の将は自らの感情をコントロールし、被害を出しつつも合理的に事を運ぼうとする。
ところが感情剥き出しの妻にはさすがに敵わなかった。

今日のあなたはまるで別人みたい…と夫を詰る妻。
たしかに妻からしてみれば幸福な生活が突然ガラガラと崩れ去ったわけだ。良い夫だと思っていた男の許し難い秘密を知ってしまって何も信じることができない。
加えてアイヴァンが車中で重要な案件を片付けながらの会話だからというのもあるかもしれない。電話の相手は優しい夫ではなく合理的で冷静な男だ。

だが、観客としてアイヴァンと共にハイウェイを走っている私には、今夜の彼の必死の采配が分かっている。
逆に、妻の言動からは夫の仕事に理解がない感じが伝わってきて、日本男児の私にはそちらが違和感だった。(欧米の人は家庭に仕事を持ち込まないのだろう)

こうなってくると完全にアイヴァンの味方である。
たった一度の間違い、誰でも起こしそうな間違いである、むしろ意図してやってる人間も多い。
それなのに過ちと真摯に向き合おうとするアイヴァンのなんと誠実なことか。

巧みな脚本によって、アイヴァンの人となり、過去と現在はよく分かった。
分からないのはこれから彼が辿る道で、未来は霧がかかってよく見えない。
だが、それもたった一本の電話で安堵へと変わる。
原題は「Locke」。アイヴァン・ロックの一夜の戦いは、もう1人のロックによって意義のある尊い敗戦となる。