デス・パレード
【監督】
立川譲
【キャスト】
前野智昭
瀬戸麻沙美
大久保瑠美
細谷佳正
種崎敦美
内山昂輝
白石涼子
柚木涼香
玄田哲章
*感想
今年1月から3月までテレビアニメ全12話が放送された、立川譲原作、マッドハウス制作のアニメーション。
元は「アニメミライ2013」の中の1作として制作された25分の短編アニメ「デス・ビリヤード」があり、それのテレビシリーズ化が「デス・パレード」ということになる。
「デス・ビリヤード」では明かされなかった部分にもシリーズを通してスポットが当てられる内容。
死後、人間の魂が一時立ち寄るBAR「クイーンデキム」。
そこではもう一人の死者の魂と何らかのゲームをして魂の裁定を行う。
ゲームの内容はさまざま。ダーツ、ボーリング、ビデオゲーム、エアホッケー…。
しかし、どのゲームも不思議な仕掛けが施されており、プレイヤーたちは極限状態へと追い詰められていく。
そして、その様子を観察する裁定者によって二つの魂は「転生」と「虚無」に振り分けられる。
記憶をなくし目覚めた黒髪の女は、クイーンデキムのバーテンダー・デキムの死者の裁定を手伝うようになる。
クイーンデキムにはさまざまな事情を持って死を迎えた人間たちが訪れ、去っていく。
しかし、人間の感情を持たないデキムの裁定や、そもそもの裁定の意味について、黒髪の女は疑いを募らせていく…。
人間の心理にスポットを当てた作品で、最近のテレビアニメの萌え路線の風潮とは一線を画する内容。
まあ、それでも主人公のペルソナみたいな蟲師みたいな見た目や、ノーナというロリババアもいたりするんでやっぱりそこはアニメなんですが…。(短編とあまりに雰囲気違いすぎるアニメ版OPは最初見た時吹いたし笑)
でもテーマとしてはシリアスなものを扱っていたと思う。
リドル・ストーリーとして描かれた短編の時にはなかった「目的」と「成長」を予感させるシリーズだった。
裁定者として未熟なデキム、そしてタワーはなんのために存在するのか、オクルスとノーナのそれぞれの思惑…。
ただ、不思議なことだが、見続けているうちに謎が明かされるのが怖くなっていった。
何のために裁定があり裁定者とは何なのか、誰がそんなことを始め、何のために続けているのか…。
そんなことは「実はこうです」と明かされても面白くない気がする。
そもそも死後の世界が舞台という時点で理屈も何もないわけで。
なので、この作品の謎の部分についてはあまり興味をそそられなかった、というよりもむしろ知りたくもなかった。
残った魅力は、人間の感情を知らないデキムの裁定者としての成長と、謎を秘めた黒髪の女の正体とその成長ということになってくるのだが、これについてもだんだんと興が削がれていった。
人間の感情を持たない裁定者たち…という設定、この「感情のない・封印された」という設定ってけっこう漫画・アニメであると思うんだが、この要素にもひねくれ者の私は疑問を持ってしまう。
そもそも「感情がない」ってどういうことなのだろうか?
デキムについては無表情キャラを貫いていたが、他の裁定者たちノーナやギンティについては疑念を持てば怒りもする。
その他のメンバーについても笑ったり、酒を楽しんだり、ボヤいたりとけっこう表情豊かなのだ。
これを見せられて「人間の感情が分からない」と言われるのも奇妙な話だ(笑)
「感情がない」のではなく、あくまでも「他人の気持ちが分からない」というレベルの設定だった気がする。
裁定者は感情を持っているし、だからこそ裁定に疑問を持つノーナがいるし、逆に疑問なんて持ってもしょうがねえ楽しんで裁定すりゃあいいというギンティがいる。
そしてマジメに裁定をしていたはずのデキムは、結局の所、他人の気持ちが分からなかった。
だからこそ「人間の感情を知りたい」と思ったのだろう。その思いは物語を結末へと導く。
デキムが人間の気持ちに触れ、人として成長する姿はそれなりに最終回だった。
こういうジャンルのアニメは、普段アニメを見ない層にも見てもらえる可能性を秘めていると思う。
「世にも奇妙な物語」みたいな不思議な世界の不思議な物語と思ってもらえれば、アニメであるということはネックにならないんじゃないかと思う。
ただ、シリーズ化ということで、多数のキャラクター、複雑な世界観が出てきてしまうとどうしても一見さんには入り込みづらくなってしまうか…。
- カテゴリ カテゴリ:
- 2014年度アニメ