
ラブライブ! School idol project 1期
【監督】
京極尚彦
【キャスト】
新田恵海
南條愛乃
内田彩
三森すずこ
飯田里穂
Pile
楠田亜衣奈
久保ユリカ
徳井青空
*感想
大人気アイドルアニメ。
完全新作劇場版の公開に合わせて、私の住んでる地域でも1月からテレビアニメ1期が放送された。(現在は2期が放送中)
噂には聞いていたが、これがラブライブか!!!!!
(ちなみに私の初めてのアイドルアニメは「Wake Up, Girls!」です)
元は2010年に始動した、KADOKAWA・ランティス・サンライズの3社合同によるプロジェクトで、誌面展開・楽曲制作・アニメーションPVの面から架空の二次元アイドルユニットを売り出していこうというもの。
2013年4月には満を持してテレビアニメ化もされ、これが爆発的なヒットへとつながったようだ。
*以下、にわかラブライバーの感想になりますのでお手柔らかにお願いします。
テレビアニメ1期のストーリーは、廃校の危機にある音ノ木坂学院に通う9人の生徒が学校を盛り上げるためにスクールアイドルグループ「μ's(ミューズ)」を結成、スクールアイドルの全国大会「ラブライブ!」への出場を目指して奮闘するというもの。
スクールアイドル結成の決意から、反対を受ける中でのファーストライブ、メンバーの加入、そしてラブライブ出場を前にして起こるハプニング、訪れるμ's存亡の危機…。
個人的にはどうしてもWUGと比べてしまう。(人気では比べようもなくラブライブが上ですが…)
WUGがあくまで現実の延長線上でローカルアイドルを描こうとしていたのに対し、ラブライブはあくまでも「アイドルアニメ」として描いていた。
普通のアニメのようにギャグやほのぼの過ぎる描写が出てくるし、そもそも「スクールアイドル」が全国各地の学校にいる…という世界観設定は現実とはかけ離れている。(いつかそんな時代が来るのかもしれないけどw)
なので、WUGもラブライブもどちらも「架空のアイドル」を扱っているけれど、より現実に即しているのはWUGなのかな、と思った。
一方、ラブライブは架空の世界で少女たちの等身大の感情を楽しく描いている。(←「楽しく」これだいじ)
二つの作品をそれぞれ見て、どちらが優れているではなく、両者の微妙な違いが住み分けを可能にしているのかな…なんて思った。(ちなみにアイマスは見たことありません…)
*以下、ネタバレにこ!未見の方は注意にこ!!!!!
1期を通して描かれたのは何だったのか?
それは、学校のためだけにアイドルに挑戦する少女たちでもなければ、彼女たちが全国大会で優勝する姿でもなかった。
描かれたのは、「仲間」「友達」というごくごく普通のことだったと思う。
廃校の危機をなんとかしたい…、そのためにラブライブに出場して学校を盛り上げたい…。
それは確かに主人公・穂乃果が掲げた目標だ。
しかし、廃校の危機は中盤でとりあえずの解決を見せ、終盤に突入する直前でラブライブ出場の夢は閉ざされてしまう。
意外な展開である。「ラブライブ!」というタイトルなのに、ラブライブには出場しないで1期は終わるのだ。
だが、安直なハッピーエンドよりも一度挫折を味わうことによって、テーマはより浮き彫りになったのかもしれない。
そのテーマこそが「仲間・友達」だったのだと思う。
終盤の3話では、穂乃果・ことり・海未の3人がクローズアップされる。
3人は幼い頃からの親友同士で、μ'sの最初期メンバー。穂乃果に他の2人が巻き込まれる形でファーストライブを行った3人だ。
その3人が終盤では互いにすれ違い、それがμ's存続の危機となる。
目標を失ってしまった穂乃果、海外留学の期限が迫っていることり、2人の間で板挟みになる海未…。
中でもことりの抱えた悩みは深刻というか、逃れようのないものだった。
服飾の勉強のために海外へ留学する…。それは紛れもなく「夢の実現」であり、ある意味ではラブライブでの優勝以上に重要なことなのだ。
誰しも年を取り、今は高校生の彼女たちもいずれは学校を卒業し社会へと羽ばたいていく。
その時にどんな大人になっているか…、それをことりは真剣に考えていたということで、一方、穂乃果はまだ目の前のことにだけ一生懸命で自分の未来の姿など考えたこともなかったのだ。
まして、目標を失ってやるべきことが分からなくなった穂乃果に、ことりを引き止めることなどできるはずもない。
海未は、自分とことりを巻き込んでおきながら夢を失った穂乃果の不甲斐なさに苛立ちを隠せない。
こういった展開は、もしも安直にラブライブでの活躍を描いていたなら、語られなかった要素だと思う。
ラブライブでの優勝、学校の存続、私たちの青春はつづく…、そんな感じでまとめてしまうこともできたはずだ。
しかし、この作品はあえてそれをせずに、ある「現実」と真正面から向き合う。
その現実とは、「青春はいずれ終わる」というどうしようもない事実である。
ことりの決断や3年生たちの思い。それらは青春時代の終わりを示唆し、同時にμ'sもいつか終わるという避けられない未来の到来を認めることである。
誰も時の流れには逆らえない、画面の中のμ'sさえも…。そのことが視聴者(特にオトナの…)の感覚とマッチする。物語が、この一瞬だけの尊いものになる。
逃れようのない現実と向き合った時にこの物語はどんな答えを導き出したか…。
それは意外にも、過ぎゆく青春を今は謳歌しよう!…ということだった。
学校のためでも、ラブライブのためでもなく、ただ仲間たちとアイドルをやりたい…。
穂乃果はもはや何かのためにアイドルをするのではない。いつの間にか手段が目的に変わっていたことに穂乃果は気づくのである。
強引とも言える最終話の展開は、一見すると現実逃避にも見えるかもしれない。
ことりを引き止めた穂乃果の言葉は彼女のエゴでしかなく、そしてことりにとってμ'sと留学のどちらがベストなのかも答えの出せない難しい問題だ。
しかしそれでも、穂乃果のエゴには物語の幕引きに相応しい力がこもっていた。
この展開で浮き彫りになったのが「仲間・友達」というテーマなのだと思う。
大切な仲間たちだからこそ、誰一人として欠けるわけにはいかない。強引に引き止めることができないのならそれは本当の仲間ではないのかもしれない。
一周回って元の鞘に収まった形だが、一周回ったからこそ、このシンプルなテーマに説得力がある。
そして、そんな誰にも通ずるシンプルなテーマを楽しく描いた作品だから、視聴者の心にもすんなり入ってくるのかもしれない。
テレビアニメをきっかけに女性ファンもつくようになったと言われるが、終盤で描かれた「友達」というテーマはμ'sと同年代の女の子たちの等身大の感情を切り取ったものと言えるかもしれない。
さて、他にもこの作品についていろいろ書きたいことはあるのだが、長くなったので今回はこの辺で…。
今、第2期を見ている最中なので、そちらの感想をまとめる時のためにとっておこうと思う。
まだ2期がどのような終わり方を迎えるか予想もできないのだが、来月に控えている新作劇場版も含めて、μ'sがどのように現実との折り合いをつけていくのか楽しみだ。
あくまでも高校生の部活動であるがゆえに存在するタイムリミット。
これはWUGには無い要素で(おそらくアイマスにも)、それが多くの人を惹きつける魅力になっているのかもしれない。
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