
バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
(2014年/アメリカ)
【監督】
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
【キャスト】
マイケル・キートン
ザック・ガリフィナーキス
エドワード・ノートン
アンドレア・ライズブロー
エイミー・ライアン
エマ・ストーン
ナオミ・ワッツ
リンゼイ・ダンカン
感想 (2015年4月15日、フォーラム仙台にて鑑賞)
公開直後はツイッタで大盛り上がりだったけど、何がどう絶賛されてたのか忘れてしまった…。
(もっと早く記事を書かなきゃダメだね…)
映画史を覆す大傑作と言う人もいる。実際そうなのだろうし、そこまで思えない人でも充分以上に面白がれる作品だと思う。
なんか上から目線ですみませんけど、話題になるだけのことはある映画だ。
まず、どうしても触れねばならないのが、撮影手法・映像編集の妙。
この作品は全編ワンカット風になっており、映像の切れ目がない。
100分以上の間、役者の演技を1台のカメラで追いかけているような感じだ。
ワンカット「風」ということは、実はワンカットではない。
複数のシーンを映像の継ぎ目が分からないように編集している。
つまり、シーンをシームレスにつないでいるわけだ。
こういう手法は、映画「トゥモロー・ワールド」でも一部で見られたが、この「バードマン」ではほぼ全編に渡って使われており、撮影監督エマニュエル・ルベツキの手腕を充分に味わうことができる。
ちなみにシームレスに繋ぐために役者も相当の苦労をしたようだ。(マイケル・キートンなんてけっこう疲れてたしな…←演技)
少し話を脱線させるが、シームレスと聞いて私が思い浮かべるのはゲーム「ローグ・ギャラクシー」と短編アニメーション「大砲の街」。
「ローグ・ギャラクシー」は宇宙海賊を主人公にしたRPGで、すべてのフィールドと戦闘シーンをシームレスにつなぐということをPS2でやっていた作品。(あまり面白くはなかった…)
なぜゲームの場面をシームレスにつなぐ必要があるかといえば、それはやはりリアリティを追求した結果なのだろう。
プレイヤーが屋外を歩いている、するとモンスターが現れ戦闘に突入する。もしもこれが現実ならば、場面が切り替わって戦闘用のフィールドに移動している…なんてことはありえない。
ゲームが進歩し、主人公の頭身、建物や道幅の寸法、それらをすべて同じスケールでリアルに表現できるようになった(映画に近づいた)結果、戦闘用のフィールドの存在、場面の切り替えは違和感を伴うようになった。
それを解消するためのシームレスな場面処理だ。
大友克洋の手がけた短編アニメ「大砲の街」は、アニメの特性を活かして場面をシームレスにつないだ作品である。
こちらは、背景をスクロールさせたりすることでまるで「隣に描かれた絵」のように見せていた。
絵本をめくるのではなく、大きな一枚絵の中を主人公が動き回っているイメージに近い。
レトロでスチーム・パンクな世界観も合わせてけっこう好きな作品だ。
「大砲の街」の場合は、映像がシームレスにつながることで高揚感をもたらしてくれる。
単純にワクワクする。次は何が出てきてどうなるのか?
世界観そのものがワクワクするものだったのもあるが、シームレスな映像も大きな理由だと思う。
話を戻します。
以上のことは、「バードマン」でもしっかりと作用している。
まず、シームレスであることで、リアリズムに説得力がある。
たぶんシームレスじゃなくても、この監督にこの俳優陣ならばリアルな人間ドラマなんて充分に作れてしまえるんだろう。
しかし、そこにさらにシームレスなカメラワークを持ち込むことで更なる説得力を持たせることに成功しているんじゃないだろうか。
いわば「密着取材」ともいえるこの1台のカメラが、役者たちの舞台裏を赤裸々に暴き出す。
そこでは主人公が超能力を発揮したりしているんだけど、私がそれをそのまま超能力はあるものとして受け止めてしまったのは、私が現実と空想の区別があやふやなアニオタだからではなく、この映画の説得力が段違いだったからだと思いたい。
そして、次が個人的にとても大きな意味があったと思うのだが、この映画、とても「ワクワクする」のだ。
言い方を変えれば「祝祭的」。半径数百mの中を行ったり来たりするドタバタ感、それはまるで終わらないパレードを見ているかのようだった。
その祝祭的な雰囲気を下支えしているのは何か?
それはやはりシームレスにつながれたワンカット風の映像が持つワクワク感なのではないだろうか?
それから、この映画は舞台演劇をめぐる物語だが、この演劇というものも実はワンカット・ワンテイクと言うことができるわけで、映画の撮影手法との関係を考えるのも面白い。
観客が見ているのは舞台の上だけだが、逆に言えば舞台の上さえ完璧に仕上がるならば舞台裏で何をやっていても問題はないわけであり、それはカメラの枠の外で何をやっていても問題ない映画撮影と似ている。(実際は見える部分を完璧にするために見えない努力をしているわけだが…)
そして、今作のように映画がワンカット風で描かれた時、舞台演劇と映画はほとんど同じエンターテイメントになるのではないだろうか…。
私たち観客は、役者たちの舞台上の演技を途切れることなく見続けていた。
ただ、その「舞台」がカメラと共に目まぐるしく動き回っただけにすぎない。
だからもしかすると、「ワンカット風」ではなく本当の「ワンカット」で映画を撮ることも可能なのかもしれない。(←ルベツキさんお願いします)
そんなわけで、大絶賛ではない私でさえいろいろ語りたくなってしまう作品だった。
まだまだ書きたいことはあるのだが…、例えば映画界を小気味良く皮肉っていることや、SNSについての絶妙なバランス感覚、あとそれからエマ・ストーンに一生ついていきます、そんなところである。オススメ!
(もしかしてこれって私、絶賛してるのだろうか?笑)
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