宇宙人王さんとの遭遇(2011年/イタリア)

【監督】
アントニオ・マネッティ
マルコ・マネッティ
【キャスト】
エンニオ・ファンタスティキーニ
フランチェスカ・クティカ
ジュリエット・エセイ・ジョセフ
アントネット・モローニ

感想(2015年3月19日、DVDにて鑑賞)

翻訳の仕事をしている女性が目隠しをされて連れて来られたのはどこかの地下施設。
彼女は中国語を話す宇宙人、通称「王さん」の取り調べに立ち会う。
当局の責任者による非人道的な尋問に苦しむ王さんに同情した彼女は、彼を連れて脱出しようとするが…。

どこにあるかも分からない閉鎖された空間で進むワンシチュエーションもの言える内容であり、けっこう尋問シーンが長々と続く。
というか、話が前に進まない。
「地球を侵略に来た」と王さんに言わせたい当局責任者キュルティと、なじられても電流流されても「友好のために来た」という主張を覆さない王さん。
その押し問答が長々と続く。

通訳として雇われた民間人・ガイアは、最初は宇宙人との遭遇に驚愕するも、王さんの真摯な態度に共感し彼の手助けをしたいと考えるようになる。
通訳せずとも伝わるような剣幕で発せられる罵倒の言葉と、愚直なまでに平和を訴え逆にキュルティを意図せず煽ってしまう王さんの言葉に挟まれ、フランチェスカ・クティカ演じるキュートな通訳も徐々に疲弊していく。
通訳って頭使う仕事というのが表情からも伝わってくる。

中国語を話す宇宙人が拷問される内容が公開当時は論争を巻き起こしたそうだ。
発展めざましい中国への危機感が表されているのか、中国人への差別意識が反映されたものなのか…。

ある意味では、異文化とも呼べるほど考えの違う他者との交流の難しさを表現している。
この場合、異文化とは人間側、宇宙人を敵対者としてしか見られないキュルティのことだ。
質問という体裁をとっているが答えはすでにキュルティの頭の中に用意されたものしかない。
それの裏付けとして言葉を引き出そうとしているにすぎず、王さんは自らが侵略者であることを認めない限り拷問から解放されない。
そして侵略者であることを一度でも認めれば、その先に待っているのは死だ。

他者を信じることの困難さもこの映画は描いている。
信じて裏切れられるよりも、疑って攻撃していっそのこと排除してしまった方が安全だと人は考える。
裏切られない保証を求めたりもするが、そんなものはなく、一度浮かんだ疑念は拭い去ることは困難だ。

宇宙人との異文化コミュニケーションが下敷きにある作品だが、ラストまで見ると意外にも王さんは人間的であることがわかる。