6才のボクが、大人になるまで。
(2014年、アメリカ)

【監督】
リチャード・リンクレイター
【出演】
エラー・コルトレーン
ローレライ・リンクレイター
パトリシア・アークエット
イーサン・ホーク

感想(2015年2月11日、フォーラム仙台にて鑑賞)

まず触れないわけにいかないのが、「同じ主要キャストで12年間に渡って撮り続けた映画」ということ。
2002年に主役に抜擢された幼いエラー・コルトレーンが、その後成長していく様を追いながら12年間に渡って少しずつ撮り続けた映画で、他の役もずっと同じ役者が演じています。
その画期的な制作スタイルについてはいろんな所で絶賛されていますね。

リンクレイター監督の作品では、同じ男女の偶然の出会い・再会を3つの年代に分けて描いた「ビフォア・サンライズ」に始まるビフォア・シリーズ三部作も代表的ですが、その裏で(?)こんな野心的な企画を進めていたとは……。

この気の遠くなるような制作方法で何ができるのかといえば、やはり役者の自然な成長や老いを目で追えるということ。
ドラマや映画では必須とも言える「子役」を必要とせず、老化メイクも年寄り風な演技も必要としない。

見る側としても、主演と子役が同一人物を演じていると関連付けする必要はないわけです。見たまま成長していくわけですからね。
この作る側・見る側にとってのセオリー・お約束を排除できるというのは地味に大きいと思います。

ただ、この実験的な映画制作が具体的にどんな意味があったのか……、ということになると、私にはよく分からないんですよね(汗;
同じキャストで10年以上に渡って撮り続けるその方法論の凄さは分かるんですが、それが映画的にどんな効果があったのか謎です。

言い方が悪いですが、ゾウが長い鼻を使って描いた抽象絵画が、絵の出来ではなくて「ゾウが描いた」ことによってもてはやされるのと同じように、この映画もその方法論が賞賛されているのではないか、という思いがしたのも事実です。

でも、けしてこの映画が面白くないというわけではないんですよ。
Boyhoodという題のとおり、普通の少年のありきたりな成長の記録を描いたこの映画は、その何でもない日常の一コマの積み重ねが、不思議な感動をもたらしてくれました。

私が言いたいのは、この感動が、この映画のこの制作方法でなければ味わえないものなのか、それとも他のヒューマン・ドラマで味わえる感動と同種のものなのか、その判断がつかなかったということ。
こんな映画の作り方は今までになくて、やはり映画史に残る作品になるだろうけど、果たしてこの作り方がベストなのかということになってくるとそれは別の話なんでしょうね。