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新世紀エヴァンゲリオン

【ジャンル】
TVアニメ/ロボットアニメ
【監督】
庵野秀明
【声の出演】
緒方恵美 (碇シンジ)
三石琴乃 (葛城ミサト)
林原めぐみ (綾波レイ)
宮村優子 (惣流・アスカ・ラングレー)
石田彰 (渚カヲル)
立木文彦 (碇ゲンドウ)

感想 (第拾七話~第弐拾六話)

今回はTVシリーズの後半、17話以降と物議をかもした最終2話について書いていきます。


第拾七話「四人目の適格者」では、シンジの級友・鈴原トウジがエヴァンゲリオンのパイロットとして選ばれるという事案が発生。
TVシリーズ見てない人でも分かるように書いておくと、新劇場版の「破」でアスカが乗った試作機が使徒に侵食され初号機とバトルする展開がありますが、あれがもともとのTVシリーズでは鈴原トウジの役目だったんですね。
そして結末は新劇と同じようなことに。シンジが心に深い後悔を刻む事件となります。

第拾九話「男の戰い」は、「破」で言えばクライマックスに当たる部分。
悩むシンジはNERVを抜けますが、ジオフロントに使徒が侵攻しNERV最大のピンチが……。
勇気を振り絞って舞い戻ったシンジの姿はまさしく「男の戰い」と呼ぶに相応しいですね。


と、ここまでは新劇の「序」や「破」でリビルドされたエピソードも多いですが、ここからはTVシリーズのみの展開。
むしろこれこそが、エヴァンゲリオンのオリジナルなわけですが。

第22話・23話では、アスカと綾波の心象風景に迫る内容。

EVAとのシンクロ率でシンジに追いぬかれたことから、焦りを感じ始めていたプライドの高いアスカ。
さらに加持へのままならない想いなどから精神的に追い詰められていきます。
いつも強気の発言をしているアスカは、実はとても脆い心を持ってるんですよね……。
その人格は幼い頃に死んだ母親から受けたトラウマによって形作られ、常に「他者に必要とされる自分」でいなければならないという強迫観念を持っていました。

そんなアスカの脆さが徐々に露呈していき、ついに第弐拾弐話「せめて、人間らしく」で使徒の精神攻撃によって心の暗部を暴き出されてしまいます。
消え入るような「汚されちゃったよぅ」発言ですね。
ここまで、EVAパイロット3名の関係は悪くなる一方だったんですが、アスカの精神崩壊という形で最悪の結果に。

稼働できるのが初号機と零号機だけになり戦力の下がった所へ、さらに使徒の攻撃。
第弐拾参話「涙」では、綾波が命を懸けてNERV本部を護る展開が発生。
綾波の初めて流した涙とともに明かされるシンジへの赤裸々な想い。
そして、ヒロインまさかのリタイア……!?

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これからクライマックスに向けて盛り上がっていく……という所で、逆に少年少女の不和や脆く崩れやすいアイデンティティを描き、視聴者を混沌へと引きずり込んでいくような展開……。
もはや、シリーズ前半でたまに見られたようなほのぼのした空気には戻れなくなった所で、まさかの新キャラが登場します。

渚カヲル……。
第弐拾四話「最後のシ者」で、シンジの前に突然姿を現し、あっという間に消え去った人物。
新劇でも人気の彼ですが、TVシリーズでは本当にこの一話しか出てないんですよね(笑)
シンジの葛藤を描く上で重要な役割だったはずなのに、あまりにも潔い退場っぷりが逆に圧倒的な存在感を放っています。

渚カヲルの最後のシーンは、何よりシンジにとって最も大きな意味を持つシーンです。
にも関わらず、渚カヲルの回は一話分だけ。もっと深く掘り下げようとすればいくらでも描けるのに、あえてなのか、1分強くらい(?)の微動だにしないカットで「起こったこと」だけを描いています。
それが逆に緊張感を生み出してますね。

そして、TVシリーズでは、この弐拾四話が事実上のクライマックスと言っても過言じゃないかと。
重要なキーワードとしては、A.T.フィールドは人の心の壁だそうです。


いよいよ問題の最終2話。
弐拾五話・弐拾六話では、それまでの流れをあっさりと断ち切り、シンジの心の世界を描くことに終始します。
そして、それはシンジでもあり綾波でもありアスカでもある世界。
ついに人類補完計画が完成し、人々の魂は肉体を離れ、ひとつの意識として融け合います。

それまでシンジが悩んでいた自己と他者の垣根が取り除かれ、互いの欠けている部分を補完し合う世界。
そこには、自己と他者を隔てる肉体もA.T.フィールドもありません。
自責の念に苦しむシンジは、それまでいがみ合っていた人々との関わりの中でついに自分を許すことができます。

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「自己啓発セミナー」と揶揄された最終2話ですが、まあそう言われても仕方ないような内容ですね。
なんてったって主人公の最後のセリフが「僕はここにいていいんだ!」、そして最後のメッセージが「すべての子供達(チルドレン)へ、ありがとう」ですからね。ふざけてんのか、っていう(笑)今までの二十数話はなんだったんだ、っていう(笑)

ロボットアニメの最終話は正義のロボットが最強の敵を倒し平和を守る、っていうお決まりのパターンをあっさり破って誰も想像もしなかった最終話を作ったのはすごいですよね。
しかも肝心のロボットも出てこないですからね最終2話に。そこがまた「新世紀エヴァンゲリオン」の「エヴァンゲリオン」とはなんぞや?っていう謎を生み出したりするわけですが。

でも、僕が当時リアルタイムでこの作品を見ていたとしたら、この終わり方にはかなりガッカリしたと思います。
やはり、一個のTVシリーズとして見た時には、この最終2話はあまりにも投げっぱなしな感じがするんですよね。
人類補完計画の真の目的が成ったのはいいけれど、庵野監督はこのアニメで補完計画を一番に描きたかったの?補完計画を乗り越える少年少女の物語じゃなかったの?っていう疑問が湧きますよね。
作品や物語としては否定できなくても、少なくとも見ていて楽しくない最終回だったわけですし。

トウジの件、アスカの件、綾波の件、カヲルの件……。いろんなものを失いながら落ちる所まで落ちてきたシンジは、結局このシリーズで何を得たのか?
落ちて落ちて落ちまくってどうしようもなくなったら世界のありようを変えて主人公を救ってしまおうという作品に、どんなメッセージ性があるのか?
今でこそ旧劇場版という別解釈の結末があり、さらに新劇が展開中なので、このTVシリーズの結末も「ひとつの解釈」として受け止めることができますけど、当時リアルタイムで提示された唯一の結末がこれだったらキツイですよね……。
でも、そんな最終回からも「逃げちゃダメだ」?(笑)


まあ、なにはともあれ、TVシリーズを見る価値はやっぱり充分にありましたね。
全体的には面白かったです。最終2話についても「自己啓発セミナー」の名のとおり、いろいろ考えさせられる内容でした。
ただ、エヴァンゲリオンを見たことない人がTV版最終2話で鑑賞を終わらすのだけはオススメしません。
TVシリーズを見るならば、もう一つの最終2話である旧劇場版もセットで見るべきです。(というか、見なければ納得できない状況に陥りますw)

なによりこれ、10年以上前のアニメなのに、むしろ新しいものを見てる気分になりましたね。
やっぱり、エヴァンゲリオンはエヴァンゲリオンだったということか……。