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ライアーゲーム 再生(リボーン) (2012年、日本)

感想 (2013年6月2日、TV録画にて鑑賞)

(ブロ友さまからのレビューリクエストです)

甲斐谷忍の原作漫画を実写化したTVドラマ「ライアーゲーム」の劇場版第2作。
監督は劇場版第1作「ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ」を指揮した松山博昭が今作でもメガホンをとります。

主演は松田翔太。孤高の天才・秋山深一をクールかつダーティーに演じます。
今回、秋山に助けを求める新ヒロイン・篠宮優には多部未華子。前作まで出ていた戸田恵梨香演じるヒロインは今回出てきません。

その他の共演では、今回何故かプレイヤーではなく高みの見物だった福永を演じる鈴木浩介と、いつも通り高みの見物の谷村を演じる渡辺いっけいがいつもの顔触れ。
キャストのほとんどがシリーズ初出演で、船越英一郎、小池栄子、要潤、池田鉄洋、高橋ジョージ、新井浩文、江角マキコ、芦田愛菜などなど。
プレイヤーだけで20名もいて、書き出すとほんときりが無い……(笑)


物語は、原作で人気のエピソード「椅子取りゲーム」に挑戦することになった篠宮優の戦いが描かれます。
勝てば莫大な賞金を手にするが、負ければ億単位の借金を背負うことになる<ライアーゲーム>。
ある日、突然届いた招待状によって否応なくゲームに参加することになった優は、大学で教鞭を執っている秋山に助けを求めます。

一風変わった椅子取りゲームを、<国取りゲーム>だといち早く見抜いた秋山。
プレイヤーは派閥に分かれ、三つ巴の争いになっていきます……。

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まあ、いつもどおり、知略を尽くしてる感じはするんですが、なんかいまいちノレないのもいつもどおり。
中田ヤスタカのBGMが最高にキテまして、ドラマ版のサントラを持ってるくらいBGMは好きなんですが、さすがに2時間の枠の中で同じBGMが2度流れてくると「またかー」「また立場逆転かー」と思ってしまうのが残念。

どんでん返しがたくさん用意されているんですけど、そのせいで「どうせまたどんでん返し」ってなってしまって。
そこへ前のと同じBGMが流れることでより「どうせまた」が強調されてしまうというか……。
中田ヤスタカさんに罪はないんです。それどころか素晴らしい楽曲を提供してるんですけど、それを安易に使い過ぎなのかも、この映画が。


全体的に動きが少ないのもあんまり好きじゃない部分で……。
ひとつの広間での会話を中心とした展開に終始してるので、それもシーンに既視感を与えて「どうせまた」と思わせる理由かな、と。
「閉鎖された空間での人間ドラマ」ってジャンルはむしろ好きなんですけど、この作品は意図的に集められ閉じ込められるタイプで、そうするとどうしても「なんのためにライアーゲームがあるのか?」って疑問が湧くんですが、そのへんについての説得力が弱いですよね。(毎度のことですけど)

あと、今回の副題「再生(リボーン)」ですけど、大仰なタイトル付ける割りには、椅子とメダルを取り合うだけのやりとりなんですよね。
このシリーズは、副題に「ザ・ファイナルステージ」とか付けないで、「今回のゲームはこれです!」を宣伝するためにも、「ライアーゲーム 椅子取りゲーム」とか「ライアーゲーム エデンの園」とか、ゲームの名称を冠したタイトルの方が、内容の規模的にも合ってると思いますね(笑)

後半は、椅子よりもメダルの方が大事になって、<捨てメダル>を<本命メダル>に変えたり、さらに<本命メダル>をなんか別の意味を持つメダルに変えたりとか、もう椅子のことなんかどうでもよくなってくる事態に。
結局、突き詰めればこれ誰が主導権を握るかってそれだけの話ですからね……。
主導権がこっちに移った、あっちに戻った……それだけを追いかけるようになっちゃうんであんまり楽しめないんです。


ただ、社会学的な見方をする人もいるようで、某レビューによれば、3つの派閥は社会主義・独裁主義・新自由主義を表現していて、ゼロサムゲームの中で椅子だけが減っていく状況は、不況の中での競争社会を表わしているんだとか。
そういう見方をすると実は深いメッセージが込められている映画みたいです。

でも、深いテーマを示唆するような描写は僕には見当たらなかったわけですが……。