公共広告機構(AC)のCMで、「困った大人にしたくない」というのがある。
「困った大人にしたくない」というナレーションとともに、
道に物を捨てたり、商店のシャッターにグラフィティ(落書き)したり、
電車の優先席で足を広げてふんぞり返っている若い男が、次々と映し出される。
最後には「駄目でしょ。○○くん」というセリフで、若い男が5,6歳の男の子に変わり、おばあちゃんに席を譲る。
「ちゃんと叱ろう。ちゃんとほめよう」というナレーションが流れる。
愛情を持って接することで、子供はきちんと成長するんだよ、ということを言いたげなCM。
一度は見たことがあると思います。
俺は実は、このCMが大嫌いw
「困った大人」として登場する男が、ジーパンにパーカー風のいわゆる「若者的」なカジュアル・ファッションをしているからです。
あれでは、「若者」はみんな「困った大人」だと言っているようなものだ。
同じ20代男性として見ていてつらくなる。
自分たちが社会から嫌われている気がしてくる。
もちろん、道に物を捨てる20代もいるだろうし、落書きをしたり、電車で席を占領する20代もいるんだろう。
でも、そういう人間は「若者」の内の何割を占めているのでしょうか?
「AC」というブランド名を用いて放送された映像を見て、全国に一部の人間の素行不良が「若者」全体の問題として認知されるのかと思うと悲しい。
それに、「困った大人」は中年・高齢者にも多い。
スーツを着て髪をきちんとセットしていても、「絶対儲かる」などと嘘をついて人から金を巻き上げる大人。
秘書が3人も逮捕されてもなお、政界にしがみつき政争に明け暮れる政治家。
仙台のあおば通りのとある歩行者用信号では、いつもビジネスマンたちが赤信号でも渡っている。
(たぶん、当人たちは「自分の責任でやっている」と言うだろう。自分のことしか考えていない困った大人だ)
もちろん、ちゃんと青信号になるまで待ってる大人もいるけどね。
それなのに、このACのCMでは、見事に20代男性のみが「困った大人」としてクローズアップされてしまった。
偏見や誤解なくCM制作するのが、ACに求められていると思うんだが……。
放送されなくなるといいな。
しかし、なぜ、社会や大人たちはこうも「若者叩き」をしたがるのか?
すべての「若者」が大人たちのDNAを持って生まれてきたのに……自己嫌悪だろうか?w
5,6歳の子供や小学生は「まだ無垢だ」と思われる。
中学生や高校生は「部活や受験頑張れ」と応援してもらえる。
しかし、大学生や専門校生になって「もう大人の仲間入りだな」と言う一方で、
「最近の『若者』は……」と言って大人として扱ってくれない。
たしかに、バカをやるヤツはいる。チャラチャラしたやつもいる。
しかし、そういうヤツら向けの商売をしているのだって大人だし、
そもそも、本当に若者から自然発生した文化なんてそうそうない。
ファッションも、音楽も、用意されたものを「これがいい」と思って買っているだけである。
そういう意味では、TVのコメンテーターの用意された話を鵜呑みにしている大人たちと大差ない。
不幸なのは、若者は確かに未熟だが、大人だって未熟だということか?
話が壮大にズレているが、言いたいことは、
「若者」という言葉で、ピンからキリまでいる20代男女を一括りにするな、
ということだ。
子どもたちには個性を求めておきながら、
20代男女では個体の区別も付かないのが大人たちだ。
若者自身が、同じファッション、同じ流行を追い求めてきた結果でもあるが、
そうなるように仕組んだのは、大人たちが形成する社会だ。
おかしな人間はちゃんと叱ってほしい、
そして頑張ってる人間はちゃんとほめてほしい。
なんか、不毛な記事になってしまった。
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